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芽が出ても、実を結ばなければ意味がない

孔子は、成長や努力の“途中で満足してしまう危うさ”についてこう語った。

「苗(なえ)までは育っても、穂(ほ)を出さない者もいる。
穂を出しても、実を結ばない者もいる。
つまり、若いときだけ目立っても、それだけでは本物とは言えないのだ」

これは、最初の才能や勢いだけでは不十分であることを示している。
人は成長の“スタート”を切ることはできるが、本当の価値は「どれだけ実を結べたか」=成果や人徳として結実したかにかかっている。

「若い頃は優秀だったのに……」「途中まで立派だったのに……」という人物は、いつの時代にも少なくない。
しかし孔子は、**本物とは「最後まで実らせた者」**だと断言する。

だからこそ、私たちはただ“伸びる”ことに満足せず、成熟し、誰かの役に立つ「実」を結ぶことを目指すべきなのだ。


原文(ふりがな付き)

「子(し)曰(いわ)く、苗(なえ)にして秀(ひい)でざる者(もの)有(あ)るかな。秀(ひい)でて実(みの)らざる者(もの)有(あ)るかな。」


注釈

  • 苗(なえ)…若い芽。ここでは「才能の芽」「成長の初期段階」の比喩。
  • 秀(ひい)でる…穂を出すこと。成長して目立つ存在になること。
  • 実(みの)る…成果を上げる、人格や知恵が成熟すること。
  • 苗而不秀、秀而不實…「成長しそうでしない人」「成長したように見えて結果が伴わない人」を指す。

原文:

子曰、苗而不秀者有矣夫、秀而不實者有矣夫。


目次

書き下し文:

子(し)曰(いわ)く、苗(なえ)にして秀(ひい)でざる者(もの)有(あ)るかな。秀(ひい)でて実(みの)らざる者有(あ)るかな。


現代語訳(逐語/一文ずつ訳):

  • 苗にして秀でざる者有るかな
     → 苗(若芽)のように育ち始めたが、やがて立派に育たない者もいる。
  • 秀でて実らざる者有るかな
     → 見事に伸びたように見えても、最終的に実を結ばない者もいる。

用語解説:

  • 苗(なえ):植物の若芽。人の「成長の初期段階」、すなわち可能性・素質の象徴。
  • 秀(ひい)でる:葉や茎がぐんと伸びること。才能や外見、言動が優れて見える段階。
  • 実(みの)る:実を結ぶこと。成果を出す、人格を完成させる、行動で価値を示す段階。
  • 有矣夫(あれかし・かな):感嘆を含む終助詞。「〜もいるものだなぁ」の語調。

全体の現代語訳(まとめ):

孔子はこう言った:

「苗のように芽生えても、やがて立派に育たない者はいるものだ。
また、見事に育ったように見えても、最終的に実を結ばない者もいるものだな。」


解釈と現代的意義:

この章句は、“才能や見かけの良さ”と“真の成果・人格の完成”は一致しないという孔子の観察です。

  • 成長の兆し(苗)が見えても、その後が続かない人がいる。
  • 立派に見えても、最終的に何も実らせない人がいる。

つまり、外見や序盤の印象では人の本質・成否は測れないという警句です。

同時にこれは、**教育や指導において「結果まで見届けよ」**というメッセージでもあります。


ビジネスにおける解釈と適用:

1. 「スタートダッシュがすべてではない」──成果とは“完遂”である

  • 若手社員や新プロジェクトが“好発進”しても、それが実を結ぶかどうかはまた別。
  • 評価は「最後までどうやりきったか」で判断する姿勢が重要。

2. 「見かけの優秀さ」に惑わされない人材評価を

  • プレゼンがうまい、経歴が派手──そう見えても、実績・誠実さ・継続力がなければ“実”はない。
  • “秀でて実らず”を防ぐには、中身を観る評価制度が必要。

3. 教育・育成には“成長の持続”を支える仕組みを

  • 苗が秀でて終わりではなく、「どのように実を結ばせるか」を見届けるマネジメントが求められる。
  • 成長支援は“短期型”ではなく、“結実型(成果完結型)”であるべき。

ビジネス用心得タイトル:

「伸びたように見えても、実るとは限らない──“真の成長”は結果が証明する」


この章句は、人材育成・プロジェクト評価・教育の本質を示す非常に示唆的な一言です。

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