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富貴欲と教育の責任

富貴を求める心は、人間の本性に根ざした自然の欲とも言えよう。
しかしその欲を、はじめより道義的観念を欠いた者に対して、功利のみを説いて教え導くとするならば、それはまさしく薪に油を注ぐに等しい。
理性なき欲望は、ただ際限なき貪欲を呼び起こし、やがて他者を顧みず、社会を乱す結果を招く。
ゆえに、教育とはまず道義を教え、善悪を識り、正邪を弁える力を育むものでなければならない。
富や成功の手段を説く以前に、それをいかに用いるべきか、いかに得るべきかという精神の土台が必要である。
功利のみをもって教化せんとする社会は、やがてその報いとして、自らの秩序と信義を失うことになる。
富貴は道義に従ってこそ価値を持つ。道なき欲を煽ることなかれ。

○富貴は人類の性慾とも称すべきではあるが、初めより道義的観念の欠乏せる者に向かって、教うるに功利の学説をもってし、薪に油を注いでその性慾を煽るにおいては、その結果は蓋し知るべしではないか。

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