「利を先にすれば奪い合い、義を先にすれば信頼が生まれる」
孟子は、王から始まり、大夫(だいふ)、士、庶民に至るまで、皆が「いかに利益を得るか」と口にするようでは、国はやがて滅びると警告した。
地位ある者が高い俸禄を受け取りながらも「義」を後回しにして利益を第一とするならば、欲望には際限がなくなる。や
がてそれは、君主を殺してでも権力や富を奪おうとする反逆につながる。
孟子はここで、単なる道徳論ではなく、現実の政治秩序の崩壊を論理的に指摘している。
上に立つ者も下に生きる者も、「義」を忘れれば共に国を危うくする。利を追い求める前にまず、人としての道理に立脚せよという厳粛な訴えである。
前項とのつながりと現代的示唆
この章は、前項「仁義だけを考え、実践する」の直後に位置し、孟子思想の核心である「利より義を重んじよ」をさらに強調してる。
前章では個人の姿勢として仁義を説いたが、本章ではそれを社会全体に広げ、国家の存亡に関わる問題として説いている。
現代の企業や政治の現場でも、利潤や成果を第一にするあまり、倫理が軽視される場面は少なくない。
孟子のこの警鐘は、今の私たちにとっても決して他人事ではない。
1. 原文
王曰、「何以利吾國?」
大夫曰、「何以利吾家?」
士庶人曰、「何以利吾身?」
上下交征利、而國危矣。
萬乘之國、弑其君者、必千乘之家。
千乘之國、弑其君者、必百乘之家。
萬取千焉、千取百焉、不為不多矣。
苟為後義而先利、不奪不饜。
引用(ふりがな付き)
「王(おう)は何(なに)を以(もっ)て吾(わ)が国(くに)を利(り)せんと曰(い)い、
大夫(たいふ)は何を以て吾が家(いえ)を利せんと曰い、
士(し)・庶人(しょじん)は何を以て吾が身(み)を利せんと曰い、
上下(しょうか)交(こもご)も利(り)を征(もと)めば、国(くに)危(あや)うし。
万乗(ばんじょう)の国、其(そ)の君(きみ)を弑(しい)する者は、必(かなら)ず千乗(せんじょう)の家なり。
千乗の国、其の君を弑する者は、必ず百乗(ひゃくじょう)の家なり。万(ばん)に千(せん)を取り、千に百(ひゃく)を取る、以(もっ)て多(おお)からずと為(な)さず、
苟(いやしく)も義(ぎ)を後(あと)にして利(り)を先(さき)にすることを為(な)さば、奪(うば)わずんば饜(あ)かず。
現代語訳(逐語・一文ずつ訳)
- 「王曰、『何を以て吾が国を利せん』」
→ 王が言った。「どうすればわが国を利益させられるだろうか。」 - 「大夫曰、『何を以て吾が家を利せん』」
→ 家臣は言った。「どうすればわが家に利益があるだろうか。」 - 「士庶人曰、『何を以て吾が身を利せん』」
→ 平民も言った。「どうすればわが身に利益があるだろうか。」 - 「上下交征利、而國危矣」
→ 上も下も皆が利益を奪い合えば、国は危うくなる。 - 「萬乗之國、弑其君者、必千乗之家」
→ 万乗の大国では、君主を殺すのは必ず千乗の大貴族である。 - 「千乗之國、弑其君者、必百乗之家」
→ 千乗の中規模の国では、君主を殺すのは必ず百乗の中流貴族である。 - 「萬取千焉、千取百焉、不為不多矣」
→ 万が千を、千が百を奪えば、それは決して少ない数ではない。 - 「苟為後義而先利、不奪不饜」
→ もし義を後回しにして利益を先にするならば、人は奪わずには満足しない。
全体の現代語訳(まとめ)
王が「どうすれば国が利益を得られるか」と問えば、大夫は「どうすれば家が儲かるか」、庶民は「どうすれば自分が儲かるか」と言うようになる。
そうして上から下まで皆が利益を奪い合えば、国は滅びる。
大国では千乗の貴族が君主を殺し、中規模の国では百乗の貴族がそれをなす。
多くの者が多くを奪い、奪い合いに満足しない。
もしも「正義(義)」よりも「利」を優先するならば、人は他者を奪わずにはいられなくなるのだ。
用語解説
- 弑(しい)…家臣が主君を殺すこと。反乱・クーデターの意。
- 上下交征利(しょうかこもごもりをもとむ)…上の者も下の者も、互いに利益を求めあうさま。
- 義を後にし利を先にす…人の道を軽視し、損得勘定を優先すること。
- 饜かず(あかず)…満足しない。いくら得ても足りなくなるという欲望の果てなき性(さが)。
- 大夫(たいふ):諸侯に仕える上級官僚・貴族階層。
- 士庶人(ししょじん):下級武士と一般庶民。
- 上下交征利(じょうげこもごもりをあらそう):為政者から庶民まで、皆が利を求めて争うこと。
- 弑(しい):目上の者、特に君主を殺す行為。儒家では最大の不忠不義とされる。
- 萬乘・千乘・百乘:国の規模を示す比喩的な表現。乗=戦車の数で軍事力・財力の目安。
- 饜(あ)く:満足する。
解釈と現代的意義
この章句は、「利を最優先とする社会がいかに崩壊へと向かうか」を非常に具体的に警告している。
国家のトップが“利益”を基準に統治すれば、家臣や民衆もその姿勢を真似て、「どうやって自分だけが得をするか」に腐心する社会が生まれる。
それはやがて奪い合いを引き起こし、信頼も秩序も崩れ、国が滅ぶ原因となる――という孟子の警句である。
また、階層を超えた「私利私欲」が、社会全体を危険にさらす構造的な問題として描かれており、道徳なき“成果主義”の危険性を示す先見的な思想とも言える。
ビジネスにおける解釈と適用
- 「利益至上主義」の行き着く先は崩壊
トップが「売上最優先」「利益がすべて」と言い続ける組織では、部門間・社員間の競争が激化し、内部崩壊が起こる可能性が高まる。
評価制度の設計やミッション設定において、「義=公正さ・正しさ・誠実さ」の観点を持たせることが重要である。 - 利己的な奪い合いは信頼を損なう
「他者より得をする」ことが評価される環境では、協力や誠実さは軽視され、やがて取引先や顧客からの信頼も失われていく。 - 「義を後にし利を先にする」マネジメントの危険
“数字だけを見るマネジメント”では、現場の声が無視され、コンプライアンス違反や倫理崩壊が起こるリスクがある。経営者・リーダーこそが「義」を重んじ、部下に示す必要がある。
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