孟子は、聖人孔子でさえ、理解されない環境にあっては苦境に立たされたことを語り、人物の大きさと時運の関係性を示している。
孔子が陳と蔡の間に滞在していたとき、糧食が尽き、従者たちも倒れるほどの苦難に見舞われた。
その理由を孟子は、「上下の交わりがなかったからだ」と断じる。つまり、その国の君主も家臣も、孔子のような人物と心を通わせるだけの徳も器もなかったということである。
ここで孟子は、どれほどの「君子(=徳ある人物)」であっても、時と人に恵まれなければ、理想は実現されないことを示している。
それはまた、自分自身(孟子)を理解し、用いてくれる明君を得られないもどかしさの表明でもあると読める。
孟子は、人物の真価は周囲によっても問われるという現実に言及しながら、同時に「人を知る力」「人を用いる眼」を持つ者の存在の重要性を説いている。
引用(ふりがな付き)
「孟子(もうし)曰(いわ)く、君子(くんし)の陳(ちん)・蔡(さい)の間(あいだ)に戹(くる)しむは、上下(じょうげ)の交(まじ)わり無(な)ければなり」
注釈
- 君子(くんし)…ここでは孔子。高い徳と志を持った理想的人格者。
- 陳・蔡(ちん・さい)…春秋戦国時代の小国。孔子が一時滞在し、困窮した土地。
- 戹する(くるしむ)…深刻な災難・困難に遭うこと。
- 上下の交わり無き…君主と臣下の間に徳をもって人と交わる姿勢がなかったこと。聖人を理解できる人物がいなかった。
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