禅宗の教えは言う。「腹が減れば食べ、疲れたら眠る」と。
一見、あまりにも当たり前のことのようだが、
この“自然な生き方”のなかにこそ、禅の核心があるとされる。
また、詩の心得では、「目の前にある景色を、普段使いの言葉で表現するのがよい」と言われる。
技巧をこらし、凝った言葉を使えば使うほど、
かえって真実から遠ざかってしまうからだ。
思うに、最も高いもの(極高)は、最も平凡(極平)の中にこそ宿り、
最も難しいもの(至難)は、最も易しい(至易)ものの中から生まれる。
心をこめようと意識すればするほど、本質は遠のき、
何も考えず、無心で取り組んだときにこそ、真実はすぐそばにある。
引用(ふりがな付き)
禅宗(ぜんしゅう)に曰(い)わく、「饑(う)え来(きた)りて飯(めし)を喫(くら)い、倦(う)み来たりて眠(ねむ)る」と。
詩旨(しし)に曰く、「眼前(がんぜん)の景致(けいち)、口頭(こうとう)の語(ご)」と。
蓋(けだ)し極高(ごくこう)は極平(ごくへい)に寓(ぐう)し、至難(しなん)は至易(しい)に出(い)で、
有意(ゆうい)の者(もの)は反(かえ)って遠(とお)く、無心(むしん)の者は自(おの)ずから近(ちか)きなり。
注釈
- 禅宗の「饑え来たりて飯を喫し、倦み来たりて眠る」:無為自然、何も飾らず、今に即して生きることの尊さ。
- 詩旨「眼前の景致、口頭の語」:技巧を捨てて、日常の目とことばで感じたままを表現することのすすめ。
- 極高は極平に寓す:最高のものは、最も平凡なものの中に隠れている。
- 至難は至易に出ず:最も難しいことは、実は最も単純なことの中に種がある。
- 無心(むしん):こだわりや狙いを持たず、自然体で臨むこと。道家思想や禅宗において理想とされる精神状態。
関連思想と補足
- 『老子』第10章には、「無為・無知・無心」を理想とする自然な在り方が説かれ、
この項の根底に流れる思想と深く共鳴する。 - また、『荘子』においても「無心」は、道に従い、余計なものを手放して本質に至る方法としてたびたび現れる。
- 現代においても、過剰な演出・過度な生産性への偏りから脱し、
「シンプルで自然体な暮らし」こそが心身の健康と深い満足をもたらすという考えが注目されている。
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