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小さな一歩でも、大いなる恐怖から救う


目次

■原文(日本語訳)

第2章 第40節
クリシュナは言った。
「ここにおいては、企てたことが消滅することなく、退転することもない。
この〔ヨーガの〕教法のごくわずかでも、大なる恐怖(輪廻)から人を救済する。」


■逐語訳

  • ネーハー・アビクリマ・ナースォスティ:ここ(この道)では、努力が無に帰することはない。
  • プラティヤ・ヴァーヨ・ナ・ヴィディヤテ:失敗しても後退はない(やり直しがきく)。
  • スヴァルパム・アピ・アスヤ・ダルマスヤ:この法(ヨーガ)のわずかでも。
  • トラーヤテー・マハト・バヤート:大いなる恐怖から救う。

■用語解説

  • アビクリマ(努力・実践・企て):ヨーガ的実践(無執着の行為)の実践全体を指す。
  • ナースァ(消滅):無に終わること、徒労。
  • プラティヤヴァーヤ(退転・後退・挫折):修行における後戻りやマイナス評価。
  • スヴァルパ(ごくわずか):ごく小さな行為でも。
  • ダルマ(ここではヨーガの実践法):正しい行為の原理、人生の義務に沿った道。
  • マハト・バヤ(大いなる恐怖):主に輪廻(サンサーラ)の苦、死・迷い・存在不安を指す。

■全体の現代語訳(まとめ)

クリシュナは、このヨーガの道――無執着の行為においては、
どんなに小さな努力であっても、それが決して無駄になることはなく、
失敗したとしても魂の進歩においては何も損なわれることはないと断言します。

むしろその「わずかな実践」でさえ、存在の根源的な不安(生老病死・輪廻)から人を救う力を持つのです。


■解釈と現代的意義

この節は、「完璧を目指さずとも、意味はある」という希望を語っています。
何かを始めた時、「失敗したら無駄になるのでは」と不安になるのが人間ですが、
このヨーガの道(無執着で行う正しい行為)は、決して無駄になることはないと説かれます。

現代に生きる私たちにも、
「小さな一歩」がやがて大きな救いをもたらすという希望と信頼を与えてくれます。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点解釈と応用例
挑戦の価値成果が出なくても、「チャレンジしたこと」そのものが経験値となり、次に活きる。
長期的視野一時的な損失や失敗も、長期的には自分の中に蓄積され、やがて報われる。
恐れず始める勇気完璧を目指さなくてもよい。まずは小さな実践から始めることで、大きな困難を乗り越える素地が生まれる。
継続の力成果が見えない時でも、日々の実践が「見えないところで力を養っている」と知ることで、継続できる。

■心得まとめ

「小さく始めよ――それは決して無駄にならない」
どんなに小さな努力でも、
それは心を磨き、恐れを越え、未来を照らす光となる。

ギーターは語る:
「この道に、失敗という名の後退はない」
行動の価値は、結果だけではなく、
その“意志と歩み”にこそある。


この節から、ヨーガ(実践)の道に対する確固たる信頼が与えられ、
続く第41節では、集中した知性(ブッディ)が重要であることが説かれます。

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