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善き人は遠くにいても、光でわかる


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■引用原文(『ダンマパダ』第二一章 第三〇四偈)

善き人々は遠くにいても輝く、雪を頂く高山のように。善からぬ人々は近くにいても見えない、夜陰に放たれた矢のように。
――『ダンマパダ』 第二一章 第三〇四偈


■逐語訳(一文ずつ訳す)

  • 「善き人々は遠くにいても輝く」
     ――人格が清らかで行いが正しい者は、たとえ物理的・社会的に離れていても、周囲に良い影響と尊敬を与える。
  • 「雪を頂く高山のように」
     ――澄み切った白雪をかぶる山のように、その存在は遠方からでもひときわ目を引く、という比喩。
  • 「善からぬ人々は近くにいても見えない」
     ――徳のない人は、たとえ身近にいても、周囲から信頼や尊敬を得られず、存在が霞む。
  • 「夜陰に放たれた矢のように」
     ――暗闇に放たれてどこに行ったかも分からぬ矢のように、行動も成果も評価されず、誰にも見届けられない。

■用語解説

  • 善き人々(サッドゥー)
     誠実・謙虚・慈しみ・智慧を持ち、言行一致の生き方をしている人々。
  • 善からぬ人々(アサッドゥー)
     偽り・ごまかし・怠惰・自己中心に満ちた人。外見や立場が立派でも、内面が伴っていない人。
  • 夜陰に放たれた矢
     見えず、当たりどころも分からず、無益で危険な象徴。存在感や影響力のなさ、または誤った行為の比喩。

■全体の現代語訳(まとめ)

善き人は、その人格と行動の美しさによって、遠くからでも敬意を集める。ちょうど白く輝く雪山が、遠くからでも誰の目にも留まるように。
反対に、悪しき者は近くにいても人々の心を動かさず、存在の意味も不明瞭で、まるで夜の闇に紛れて行き先も見えない矢のようである。


■解釈と現代的意義

この偈は、「本質的な価値とは何か?」という問いに対する明快な回答です。
現代ではSNSや広告などで「目立つこと」「近くにいること」が価値とされがちですが、仏教はそれを超えて、
**“徳のある生き方は自然と人の記憶に残り、尊敬を集める”**と説きます。

つまり、目立とうとしなくても、
「誠実に、正しく、清く」生きている人は、
必ず誰かの心に届いている――そのような信念が励ましとして与えられる偈です。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
信用の蓄積目立つ成果よりも、地道な信頼の積み重ねこそが、遠くの人々にも届くブランドや評価につながる。
リーダーの姿勢常に現場にいなくても、誠実で一貫したリーダーは、チームから尊敬され続ける。
無意味な目立ち方の回避一時的なパフォーマンスやアピールよりも、本質的な行動の整合性が、長期的評価において勝る。
透明性ある行動の重要性闇に紛れたような行動(裏取引・虚偽・誤魔化し)は、すぐには露見しなくても、最終的に信用を失うリスクをはらむ。

■心得まとめ

「真の価値は、光のように滲み出る」

遠くからでも尊敬される人とは、
決して声の大きな人ではなく、
徳と真心がにじみ出ている人

反対に、
どれだけそばにいても、
心に届かない人がいる。

仏は言う。
「善き人は、雪山のように高く静かに輝く」
あなた自身の徳が、あなたの存在そのものを照らすのだ。

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