従来の組織論は、企業という存在を考慮に入れず、もっぱら内部の管理に焦点を当てた理論だ。企業内部がどのような状態であろうと、外部の環境は絶えず変化する。顧客のニーズは移り変わり、競合他社からのプレッシャーも増大していく。
こうした変化への対応を誤れば、企業は容易に窮地に陥る可能性が高まる。伝統的な組織論は、このリスクを内包していると言える。
急速に変化する現代の産業社会において、従来の組織論は役に立たないどころか、重大なリスクを伴うものとなっている。こうした古い理論は捨て去るべきだ。私たちは、外部環境の激しい変化に適応し、生き残るための新しい組織論を求めている。
良い組織を定義するなら、それは「優れた業績を上げられる組織」以外に表現しようがない。そして、その実態を掘り下げれば、以下の二つに集約される。
- 卓越した顧客サービスを提供できる組織
- 競合他社に打ち勝つ力を持つ組織
S社は従業員400名を抱える加工業の企業だ。同社の社長が抱える最大の悩みは、生産部長の無能さだった。社長が示した方針や指示が生産部長の段階で滞り、計画通りの生産が実現しない状況が続いていたのだ。さらに、生産課長たちからは混乱や部長への不満が絶えず、直接訴えが社長の元に届く事態にまで発展していた。
S社長は悩みに悩んだ末、無能な生産部長を企画室の室長として棚上げし、自らが直接生産課長を管理することを決意した。それも、まずは1年間という期限付きの試みとしてだ。その計画について私に意見を求めてきたが、私は全面的に賛成の意を示した。「社長、ご自身の信念を貫いてください」と力強く励ましたのである。
私の賛成を背に受けた社長は、生産部を直轄下に置く決断を実行に移した。その効果はすぐに現れ、納期遅れによって顧客に迷惑をかけていた状況は見事に改善された。
しかし、しばらくすると外部から雑音が入り始めた。親工場、税理士、さらには顧問の学者までもが口を挟んできたのだ。彼らは口をそろえてこう主張した。「このようなアメーバ的な組織運営は問題だ。社長が多人数の生産部門を直接管理していては、本来の社長業に支障をきたす。組織には原則というものがあるのだから、それを守らなければならない」と。
組織論に詳しくない社長は次第に迷い始めた。「経験豊かな人たちが口を揃えて同じことを言うのだから、自分の判断が間違っているのかもしれない」と不安を抱え始めたのだ。
迷いに迷った末、社長は元の組織体制に戻すことを決断してしまった。せっかく棚上げした無能な部長を再び生産部長に据えたのだ。それはわずか4カ月後のことだった。そして予想通り、生産は再び低迷し始めた。この事実を後から知った私は、怒りを抑えきれなかった。ついには社長を叱責せざるを得なかったのである。
「社長、なんて愚かなことをしたのだ。外野がどれほど騒ごうと、そんな声に耳を貸す必要など一切ない。新しい組織体制で業績が上がったという事実こそ、それがあなたの会社にとって最適な組織であることを証明しているのだ。」
「それなのに、無責任な外野の声に惑わされ、それに従ってせっかく上向きかけていた生産、さらには業績までも落としてしまうとは何事だ。社長、会社の業績と抽象的な組織論のどちらが本当に大切なのか、しっかり考えるべきではないのか。」
「それからもう一つ言いたい。組織を変えるときには私に相談をしておきながら、元に戻すときには相談もしないとはどういうことだ。もしそのときに相談してくれていたなら、私は間違いなく元に戻すことに反対したはずだ。」
組織論者は「組織の目的は企業目的の達成だ」と言葉では述べるものの、実際にはその本質をまったく考えようとしない。いや、そもそも企業そのものを理解していないのだから、考えること自体ができないのだ。
そのため、彼らはひたすら形式に固執し、静態的な指令系統の統一論や責任と権限の論理に没頭する。結果として、それらは企業の実態とかけ離れた観念論に堕し、そうした理論が企業に適用されたとき、さまざまな害悪をもたらすことになるのだ。
企業は生き物であり、それぞれの会社には独自の事情がある。画一的な組織論で全てを律することなど不可能だ。私の後輩が言った、「もし正しい組織というものが存在するなら、それを法律で定めればいい。そうすれば、倒産する会社はなくなるはずだ」という言葉は、まさに本質を突いた至言だと言える。
組織の形態など本質的にはどうでもよい。重要なのは、優れた業績を上げられるかどうか、それだけだ。例えば、A社は機械類を取り扱う商社で、私が訪問した当時、従業員は百名余りという規模ながら急成長を遂げており、その業績は他を圧倒していた。
その組織は独特で、社長の下に部長、課長、係長などの管理職が直接ぶら下がり、それぞれの管理職の配下には第一線の平社員が直接配置されていた。つまり、部長の下には課長も係長もおらず、平社員が直結している。一方、課長も上に部長がいない状態で、下には係長や主任を置かずに直接平社員を抱えているという構造だった。
部長や課長といった役職に、何か特別な職分の違いがあるのかと尋ねたところ、実際には勤続年数の差だけだという答えが返ってきた。つまり、組織として見ると、「社長―管理職―平社員」というシンプルな構造になる。社長と平社員の間にはたった一つの階層しか存在し、組織論者の観点からすれば、いわゆる「アメーバ的」な形態だとされるだろう。
これはまさに素晴らしい組織だ。その理由は、何よりも卓越した業績を上げていることにある。そして、その業績が持続する限り、この組織を変える必要など全くない。組織には定型というものは存在しない。この点を、社長はまずしっかりと認識すべきだ。
ここで注意しなければならないのは、組織に定型がないとしても、原理は存在するということだ。重要なのは、その「正しい組織原理」を理解し、それを実践に活かすことだ。この点について改めて考えてみる必要がある。
よい組織とは、ただ「優れた業績をあげられる組織」にほかならない。そして、その特徴は「優れた顧客サービスができる組織」かつ「競合他社に打ち勝つ組織」である。この原則を踏まえると、組織の形態や名称にこだわるのではなく、組織が実際に成果を出せるかどうかが重要なポイントになる。
1. 組織形態に定型はない
企業ごとに異なる状況に最適な形態を採用するべきであり、標準的な組織論に従う必要はない。組織は生きたものであり、画一的なルールや静的な構造に囚われると、逆に実績を上げられなくなる可能性がある。企業の目的に合致し、優れた業績を実現できるのであれば、形式や階層にこだわらず、柔軟に形を整えることが望ましい。
2. 業績が評価基準
よい組織の評価基準は、形ではなく業績である。ある企業が「アメーバ的」と言われる柔軟な構造であっても、業績が高ければそれは優れた組織であり、業績が維持できる限り変更する必要もない。外部の意見に左右されるのではなく、実際の成果を基に判断する姿勢が求められる。
3. 組織の原理を理解する
組織に定型はないが、原理はある。組織が成果を上げるための原理を理解し、適切に活用することが重要である。具体的には、指揮系統の明確化、責任と権限のバランス、顧客に価値を提供する仕組みづくりなどが挙げられる。
結論
よい組織とは、企業の目的達成に向けて実際に優れた業績を上げるために柔軟に形を変えられる組織である。外見的な構造にとらわれることなく、常に成果を最優先に考えることが、真に効果的な組織作りには欠かせない。
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