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善き行いは、死を越えて迎えてくれる


目次

📜 引用原文(日本語訳)

そのように善いことをしてこの世からあの世に行った人を、
善業が迎え受ける。
親族が愛する人が帰って来たのを迎え受けるように。

—『ダンマパダ』第16章「愛するもの」第220偈


🔍 逐語訳

  • 善いことをして(puññaṃ katvā):功徳を積み、善行を重ねた者。
  • この世からあの世に行った人(ito gato):死を迎えて次の生(または解脱の境地)に進んだ者。
  • 善業が迎え受ける(puññāni paṭigaṇhanti):その人が積んだ善行・功徳が、死後の世界でその人を受け入れる、導く。
  • 親族が愛する人を迎えるように(piyamvassa āgataṃ ñātayo):久しぶりに帰ってきた愛しい家族や友を、親族たちが喜びとともに迎えるように。

🧩 用語解説

  • 善業(puññāni):心・言葉・行動による善い行い。仏教では、未来の幸福や解脱の因となる。
  • あの世(paraloka):単に死後の世界だけでなく、次の生や再生の状態を含む概念。
  • 迎え受ける(paṭigaṇhanti):喜んで迎え入れ、受け取ること。

🧾 全体の現代語訳(まとめ)

この世で善い行いを積んだ人は、死を迎えてあの世へ向かうとき、
その人自身の「善業」が、まるで久しぶりに帰ってきた家族を親族が喜び迎えるように、温かくその人を迎え入れる。
それは、善き行いが自分自身の“帰還先”となるという、因果の美しい表現である。


🧠 解釈と現代的意義

この偈は、仏教における「業(カルマ)」の教えを、非常に親しみやすく、感動的に語っています。
善行は、ただ「報われる」ものではなく、「死を越えて自分を迎え入れる存在」になる。
つまり、生涯の行いが、自分にとって最も確かな伴侶・帰る場所となるというメッセージです。

現代においても、この教えは「人生をどう締めくくるか」「何を遺していくか」という問いに答える力を持っています。
財産でも名声でもなく、最終的に人を迎え入れてくれるのは、その人が積み上げた日々の誠実さと他者への善意なのです。


💼 ビジネスにおける解釈と適用

観点解釈・適用例
📈 キャリアの帰結数字や肩書きよりも、日々の行動・誠実さが、最終的に自分の評価と信頼を「迎え入れて」くれる。
💬 レガシー(遺産)人にしてきた小さな善意、信頼、誠実さが、人生の終わりに本当に残る価値となる。
🤝 リーダーの資質正しいことを積み重ねてきたリーダーは、引退後も信頼と感謝に包まれて見送られる。
🌱 意識すべき成果目に見える成果以上に、「人としてどう在ったか」「何を人に与えてきたか」が、最も深い報酬となる。

🔑 心得まとめ

「人は死を迎えるとき、自らの善行に抱かれて帰っていく」

この偈は、人生の最後に私たちを温かく迎えてくれるものが何かを問いかけます。
地位でも財産でもない。
それは、日々の誠実な行いと、人に対して向けた善意であり、**“徳の力”**です。
人生の本当の報酬は外にあるのではなく、自分の中に積み重ねてきたものにこそある——
それがこの偈の核心なのです。

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