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目標の本質⑥!目標達成の不退転の決意と信念が成否をきめる

この記事では、目標達成におけるリーダーシップの重要性と、不退転の決意がいかに組織の成長に不可欠であるかを探求します。

筆者の経験からの実例を通じ、目標設定の科学的根拠よりも、その目標に対する絶対的なコミットメントが、困難を乗り越えるための原動力となることが示されています。

また、人間関係を重んじるあまり業績を犠牲にするリーダーシップスタイルの危険性についても警鐘を鳴らしています。

目次

目標達成の決意と信念が成否をきめる

筆者の友人で、某社の重役をしている人が、かつて製造部長であったときのことである。

筆者が工場見学にその友人の会社を訪れたところ、工場のどこへ行っても、「本年度の目標、〝工数三割節減〟製造部長」という目標がかかげてあった。

工場を見学し終わってから、私は目標について質問をした。それに対して、彼は次のように答えた。

「工数三割節減に、べつに科学的な根拠は何もない。ただ、今年中にどうしても工数を三割節減しなければ、わが社は激烈な競争に打ち勝って生き残ることはできない、と製造部長としての私が判断したからだ。それ以外に何もない。

そして課長たちには、各自どのようにしたらこの目標が達成できるかを考えさせ、計画書を提出させた。私の役目は、この計画書をチェックすることだ。とはいっても、これは容易なことではない。工数節減は今年はじめて行うのではない。

会社創立以来一〇年間毎年行っているのだ。その上さらに三割を節減せよというのだ。一通りや二通りの努力でできる相談ではない。だから各課長は、あれはできない、これもダメです、その理由はコレコレです、といってくる。

しかし、私は絶対にこれに耳をかさない。一つ一つ理由をきけば、もっともな理由があることは初めからわかっている。

もっともな理由をきけば、〝私も人間だ、できないことは仕方がない〟といいたくなる。またそうすれば、〝話のわかる部長だ〟といわれることもよく知っている。

しかし、私が話のわかる部長になってしまったなら、会社はどうなるのだ。工数三割節減どころか、一割もできないだろう。私は、鬼製造部長になるよりほかに道がないのだ。そして、あくまでも部下に目標達成を要求しなければならないのだ」

まったく頭の下がる思いがした。帰るときに、筆者は応接室の壁に貼ってある、この会社の一〇年間の「売上げグラフ」をあらためて見なおした。

はじめの五年間は、売上げは遅々として伸びていない。

六年目から売上げは急上昇しているのだ。そしていま、会社は業界のトップを独走している。五年目と六年目の間にハッキリとした「クギ折れ」現象があるのだ。

そして、そのクギ折れは、この友人が製造部長になった直後にあるのだ。この会社のすばらしい業績が、この製造部長一人のためでないことはいうまでもない。

しかし、この製造部長がいなかったならば、果たして、こんな急成長と高い利益が得られたであろうか、とつくづくと考えたのである。

目標は、過去の実績からみたら、常に不可能なものである。

だから、その目標を達成するのにムリがあってはいけない、部下の納得できるものでなければいけない、などという泰平ムードの観念論は通用しないのだ。

どうしてもやりとげなければならないのだ。

そのためには、トップの、そして幹部の、不退転の決意がいるのだ。必ず達成できるという信念が必要なのだ。

これがリーダーシップの基礎的要素の一つなのである。へなへな人間関係論なんかは、業績を落とす役目しかしないのだ。

その実例をあげよう。

F社の工場長は、非常に話のわかる人で、人間関係信奉者であった。

同社は受注生産なので、営業課長が引き合いをもってくると、設計・資材・製造の各課長を集めて、「図面はいつできるか、その図面が出てから何日で資材・外注品の手当ができるか、そうしたら、製造課ではいつ完成するか」ということをきき、その結果で納期の返答をしていた。

各課長は、早くできない理由を、縷々ならべ立てる。結局は、相当長い納期をもらわなければならない、ということになる。当然、営業課長は承服しない。そんなことでは受注はおぼつかないからだ。

そこで、また話合いが行われ、若干納期をつめて、「これ以上納期をつめるのはムリだ。営業課長はそれでお客に納得するように話をつけてくれ」というようになることがオチなのであった。

営業課長はシブシブ承知をする、という結末になる。当然のこととして、営業成績はあまりかんばしいものではなかった。

たまたま、筆者がこの会社のお手伝いをすることになり、上記のことを知ったのであるが、ご意見番としての立場から、この工場長に苦言を呈したのである。

「あなたは、社内の人びとの立場をよく理解し、人間関係を円滑にしようとしている。しかし、それは間違っている。社内の人間関係や立場を尊重するというが、そのシワよせは、納期の遅れとなってお客様にいってしまっている。

いったい、会社はだれのために食っているのか。お客様のおかげではないか。そのお客様を犠牲にした人間関係は、まったくの誤りではないか。

お客様を忘れる会社は、お客様から忘れられる。そうなったら会社はつぶれる。会社をつぶして、なんの人間関係か、それこそ最悪の人間関係である」

と歯に衣着せぬ直言をするとともに、「生きるための要請」についての考え方を説明したのである。じっときいていた工場長は、「わかった、自分の考えが間違っていた」と率直に反省した。

実にりっぱな人である。それを境にして、この工場長の態度はまったく変わってしまった。

営業から引き合いがくると、納期をきき、そのまま、あるいは数日の延期をあらかじめ営業課長に承諾させると、各部門の課長を集め、「設計は何日までに完了、資材はいつまでに、これこれの外注品はいつまでに、製造の完成は何日まで」と頭から指令したのである。

びっくりしたのは課長連中である。そしてさっそく、それではできない理由を述べはじめた。ところが、工場長はこれをピタリと押さえてしまった。

いわく

「君たちのいうことはもっともだ。しかし、理由があればそれでいいというものではない。君たちの昇給について、〝これこれの理由で、財源がないから、昇給させられない〟とハッキリと理由を述べたら、君たちは昇給しなくても仕方がないと納得するか。

それと同じだ、できても、できなくとも、そうしなければ会社は食えないのだ。どんな思いをしても、お客様の要求を満たすのがわれわれのつとめだ

と実に鮮かなもので、今度は、火つけ役の筆者がビックリしてしまったのである。それ以降、その会社の課長たちは、もっともらしい理屈をいわなくなった。業績も上がった。

そして、その工場長に対する課長たちの気持ちをきいてみると、「初めは、正直のところビックリした。しかし、よく考えてみると、あれが本当ですね。私たちもかえって気持ちがいいですよ」という返答が返ってきたのである。

人間関係至上論者よ、この事実をなんと説明するか。ご高説を承りたいものである。

まとめ

リーダーが業績改善と目標達成のためには、従来の慣習や安易な人間関係に依存することなく、明確なビジョンと強い意志を持つ必要があります。

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