MENU

悪の果は、時を待ちて必ず実る


目次

■引用原文(日本語訳)

一九*
まだ悪の報いが熟しないあいだは、
悪人でも幸運に遇うことがある。
しかし悪の報いが熟したときには、
悪人はわざわいに遇うのである。
―『ダンマパダ』より


■逐語訳

  • 悪の報いが熟しないあいだ:行った悪行の結果が、まだ表れていない期間。
  • 悪人でも幸運に遇うことがある:一見すると、悪人が成功したり、報いを受けていないように見える状況がある。
  • 悪の報いが熟したとき:因果の法則によって、その悪行の結果が現実に表れる時。
  • わざわいに遇う:苦しみ・破滅・不幸・失墜といった災厄が本人に降りかかること。

■用語解説

  • 報い(果報/カルマの熟成):行為(善悪)に応じた結果は、時間差をもって現れる。仏教における因果律の要諦。
  • 熟す(じゅくす):種が芽を出し、果実となるように、行為が結果として現れること。
  • 幸運:ここでは一時的な成功・地位・利益など、表面的な運の良さ。
  • わざわい:肉体的、精神的、社会的損失や苦悩など、悪行の必然的帰結。

■全体の現代語訳(まとめ)

悪事を働いた者であっても、その報いが現れるまでの間は、運に恵まれたように見えることがある。
しかし、その報いが熟すときが来れば、やがて大きな災いがその人自身に降りかかるのだ。


■解釈と現代的意義

この偈は、「因果応報は遅れてやってくる」ことの重大性を説いています。
悪をなしても、すぐには問題が表面化しないことがあります。
しかしそれに甘んじることは、やがて「大きな破綻」を招くことにつながります。
だからこそ、短期的成功や表面的な幸運に惑わされず、「因果の熟成」に目を向けて生きることが、真の智慧なのです。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点応用例
倫理と透明性一時的に成果を出すための不正やごまかしは、のちに発覚し、企業の信用を根底から崩すリスクを持つ。
表面的成功の見極め他人の成功が「正当なものか、悪果の未熟か」を見極める目が、経営判断や人事評価において極めて重要。
内省と未然防止目の前で問題が起きていなくても、「過去の未処理な悪」が潜んでいないかを日常的に点検する姿勢が、長期の健全経営を支える。
信頼資産の構築善い行いの積み重ねは時間がかかるが、逆に「悪の果」は破滅的に速やかであることを肝に銘じるべき。

■心得まとめ

「今うまくいっているように見えても、それが“善”とは限らない」
悪の報いは、熟すまで見えない。
だが熟したとき、それは一瞬にして人生や組織を崩す。
――だからこそ、表面的な成功に酔わず、静かに善を積むことが、もっとも確かな未来を築く道なのです。


この偈は「長期視点の行動原則」「リスクマネジメント」「倫理判断のタイムラグ」などのビジネステーマにも活用可能です。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次