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友との情は、かたちよりも心にこそ宿る

── 礼を越えて、まごころで向き合う関係

孔子は、友人との関係において、礼を大切にしながらも、その根底にある「まごころ」を何より重視していた。
あるとき、友人が亡くなり、その遺体を引き取る者がいないと聞くと、孔子は「私のもとで殯(かりもがり)を行おう」と申し出た。
形式ではなく、友の魂を敬う気持ちから出た自然な行動であった。

また、友人から贈り物を受ける場合には、たとえそれが車や馬といった高価なものであっても、特別な拝礼をすることはなかった。
友人との間柄では、礼を過剰に示すことはかえって「水くさい」とされ、素直な気持ちで受け取ることが礼儀とされたからである。

ただし、祭りの供物として分けられた肉を受け取るときには、そこに神聖な意味が込められているため、丁寧に拝礼して受け取った。
孔子は「友を思う心」と「礼の本質」の両立を、常に忘れなかった。


原文とふりがな付き引用

「朋友(ほうゆう)死(し)して帰(き)する所(ところ)無(な)ければ、曰(い)わく、『我(われ)に於(お)いて殯(ひん)せよ』と。朋友(ほうゆう)よりの饋(たまもの)は、車馬(しゃば)と雖(いえど)も、祭肉(さいにく)に非(あら)ざれば拝(はい)せず。」


注釈

  • 殯(ひん):仮埋葬。死後すぐに葬らず、一定期間安置しておく儀礼。友を丁重に見送るための措置。
  • 饋(たまもの):贈り物。友人間での贈答は、形式よりも心を重視。
  • 拝せず:かしこまって礼をしない。親しい関係では、過度な儀礼を避ける配慮。
  • 祭肉(さいにく):祭事に用いた神聖な肉。神聖さが伴うため、受け取る際は拝礼を行う。
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