世俗を離れ、静けさを愛する人は、白雲が流れるのを眺め、幽玄な石に心を寄せて、
そこに“玄(げん)”――宇宙の深遠なる理(ことわり)を感じ取る。
一方で、栄華を求める人は、清らかな歌や優雅な舞に心を奪われ、飽くことを知らずにその楽しみに浸る。
だが、それらどちらでもないのが、「自得の士」である。
彼は、喧騒にも静寂にも心を乱されず、栄えていても枯れていても、
自分の生き方を見失わず、どこにいても、「自適の天(じてきのてん)」――自分にとっての天地を得ている。
状況に振り回されず、自らの心の調律で生きる人こそが、真に自由で、楽しみの深い人生を手にしているのだ。
引用(ふりがな付き)
寂(じゃく)を嗜(たしな)む者(もの)は、白雲(はくうん)幽石(ゆうせき)を観(み)て玄(げん)に通(つう)じ、
栄(えい)に趨(おもむ)く者は、清歌(せいか)妙舞(みょうぶ)を見て倦(う)むを忘(わす)る。
唯(ただ)自得(じとく)の士(し)のみは、喧寂(けんじゃく)無(な)く、栄枯(えいこ)無(な)く、
往(ゆ)くとして自適(じてき)の天(てん)に非(あら)ざるは無し。
注釈
- 玄(げん):『老子』に登場する概念で、宇宙の深遠で微妙なはたらき。目に見えぬ真理。
- 自得の士(じとくのし):他と比べることなく、自らの人生の道を得ている人。
- 喧寂(けんじゃく):にぎやかさと静けさ。世の状態における両極。
- 栄枯(えいこ):盛衰。成功と失敗、上昇と下降。
- 自適の天(じてきのてん):自分の心に適った天地。どこにあっても“心が在るべき場所”と感じられる境地。
関連思想と補足
- 『老子』の「玄」思想と重なる哲学的視点。「無欲」によって妙(びょう)を観、「有欲」によって徼(きょう)を観る――いずれも本質への通路。
- 『菜根譚』後集128条にも、自分の内に天地を得ている人物像が描かれており、
**「自分の心のありようが、居場所そのものを変える」**という観点が繰り返し説かれる。 - 人の多い都会でも、ひとり山林にいても――本当の自由とは、「外の静けさ」ではなく「内の静けさ」にある。
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