――なぜ“本性に合った暮らし”を選ぼうとしないのか?
威厳ある冠と帯を身につけた高官も、
ふと道で簔(みの)と笠をつけた、自由に風に吹かれて生きる庶民の姿を見れば、
その心に**うらやましさ(咨嗟)**が芽生えることがある。
長い宴席に豪勢な暮らしをする富者でさえ、
粗末なすだれの下で、清らかな机に向かって静かに読書する人の姿を見れば、
その心は綣恋(けんれん)=羨望の情に染まるだろう。
それなのに、人はどうして――
火のついた牛を追いたてるように、
さかりのついた馬を惑わすように、
権力や財産に走り回るのか?
なぜ、人間本来の性(せい)にかなった、
のびやかで穏やかな生活を求めようとしないのか?
引用(ふりがな付き)
峩冠大帯(がかんたいたい)の士も、一旦(いったん)、軽簔小笠(けいささみのがさ)の飄飄然(ひょうひょうぜん)として逸(いつ)するを睹(み)れば、未(いま)だ必(かなら)ずしも其(そ)の咨嗟(しさ)を動かさずんばあらず。
長筵広席(ちょうえんこうせき)の豪(ごう)も、一旦、疎簾浄几(それんじょうき)の悠悠焉(ゆうゆうえん)として静(しず)かなるに遇(あ)えば、未だ必ずしも其の綣恋(けんれん)を増(ま)さずんばあらず。
人、奈何(いかん)ぞ、駆(か)るに火牛(かぎゅう)を以(もっ)てし、誘(いざな)うに風馬(ふうば)を以てして、其の性(せい)に自適(じてき)するを思わざるや。
注釈
- 峩冠大帯:威厳ある装束を身につけた高位高官のこと。
- 軽簔小笠:素朴な装いの庶民。風に身をまかせた自由な姿の象徴。
- 咨嗟(しさ):うらやましさ、ため息まじりの感嘆。
- 綣恋(けんれん):しみじみとした羨望の情。
- 火牛:『史記』より。尻尾に火をつけて敵を混乱させた戦術のこと。ここでは外的にあおられて暴走する人間の比喩。
- 風馬:『左伝』より。さかりのついた馬にたとえた欲望。誘惑に弱い人間の象徴。
- 性に自適する:人間の本性にかなった暮らしをし、自らに満ち足りて生きること。
関連思想と補足
- 本項は、人間の「本性(性天)」にかなった生き方の美徳と幸福を説いています。
- 『老子』の「自然に従い、足るを知る」思想にも通じる部分が多く、過度な欲望を戒めています。
- 『論語』では「君子は仁を本とす」と説かれますが、ここでは仁や礼よりも“本来の自分”に立ち返ることに重点が置かれています。
- 真に満ち足りた者は、決して他人をうらやまないという常識を反転させ、権力者や富者こそが庶民の自由さに心を動かすという構図が印象的です。
コメント