名誉や財産を競い合う人々がいても、それはそれ。任せておけばよい。
かといって、それを見下したり、わざと嫌悪する必要はない。彼らの生き方に酔っているとしても、それを無理に否定するのは、結局同じ土俵に立つことになる。
また、自分が「淡々と生きていて、欲がない」ということを、静かに受け止めるのは美しいが、
それを「自分だけが醒めている」と誇るなら、やはりそれもまた執着の一形態である。
仏教でいうところの真の自由とは、“法”にもとらわれず、“空”にもとらわれず――つまり、あらゆる考え方・価値観・境地をも超えた、心身ともに縛られぬ境地にある。
とらわれないとは、執着を否定することですら執着せず、ただ自分らしく淡々と在ることなのだ。
引用(ふりがな付き)
競逐(きょうちく)は人(ひと)に聴(ゆる)せて、而(しか)も尽(ことごと)く酔(よ)うを嫌(きら)わず。
恬淡(てんたん)は己(おのれ)に適(かな)って、而も独(ひと)り醒(さ)むるを誇(ほこ)らず。
此(こ)れ釈氏(しゃくし)の所謂(いわゆる)、法(ほう)の為(ため)に纏(まと)せられず、空(くう)の為に纏せられず、身心(しんじん)両(ふた)つながら自在(じざい)なる者(もの)なり。
注釈
- 競逐(きょうちく):地位や財産などを競って追い求めること。
- 尽く酔うを嫌わず:「夢中になっている人々を嫌悪しない」=自分の価値観を他人に押しつけない姿勢。
- 恬淡(てんたん):無欲で淡々とした生き方。自分に正直に欲から離れている状態。
- 独り醒むるを誇らず:「自分だけが目覚めている(わかっている)」という優越感を持たないこと。
- 法に纏せられず、空に纏せられず:「法=現象」や「空=無常・無我」という思想にすら執着しない、仏教の究極の自由の境地。
関連思想と補足
- 仏教の「中道」にも通じる考え方。極端な肯定も否定もせず、ただ自然体で在ることが理想とされる。
- 『菜根譚』の他の項でも繰り返される「とらわれない智慧」が、ここでは最も洗練された形で示されている。
- 欲に走る人を責めず、自分の清貧を誇らず――他者にも自分にも柔らかな態度をとることが、真の自由を生む。
原文:
競聽人、而不盡醉。
恬淡適己、而不誇獨醒。
此釋氏所謂、不爲法纏、不爲空纏、身心兩自在者。
書き下し文:
競逐(きょうちく)は人に聴(ゆる)して、而(しか)も尽(ことごと)く酔(よ)うをせず。
恬淡(てんたん)は己(おのれ)に適(かな)いて、而も独(ひと)り醒(さ)むるを誇(ほこ)らず。
此(こ)れ釈氏(しゃくし)の謂(い)う所の、「法の為に纏(てん)せられず、空の為に纏せられず、身心両(ふた)つながら自在なる者」なり。
現代語訳(逐語/一文ずつ):
- 「競逐は人に聴して、而も尽く酔うをせず」
→ 競争や功名の世界は人に任せ、自分は関与しないが、だからといってその世界に対して完全に無関心になるわけでもない。 - 「恬淡は己に適いて、而も独り醒むるを誇らず」
→ 淡泊な生活を自分に合ったものとして静かに楽しむが、それを他人より“目覚めている”などと誇ったりはしない。 - 「これは仏教で言う、“法(=執着)にも縛られず、空(=無執着)にも縛られず、心と体の両方が自由な境地”にある者である」
→ 外的な価値にも、内的な超脱にもとらわれない、真の自在な境地にいる人物の姿である。
用語解説:
- 競逐(きょうちく):名誉・利益・地位などを競い合うこと。競争の世界。
- 聽する(ゆるす):許す。世間に任せる、受け入れる。
- 尽く酔う(ことごとくよう):完全にのめり込み、執着すること。
- 恬淡(てんたん):欲望がなく、淡々として落ち着いた境地。
- 適己(てきこ):自分に合った生き方。
- 独醒(どくせい):周囲の人が酔っている中で自分だけ目覚めている状態。優越感。
- 法纏(ほうてん):物事・形式・知識などに囚われること。
- 空纏(くうてん):無執着や“悟り”すらも囚われになること。
- 釈氏(しゃくし):仏教を指す。釈迦の教えに基づく宗派。
全体の現代語訳(まとめ):
競争や世間の喧騒は他人に任せ、自分は関与しないが、かといって完全に見下すこともなく、淡々と距離を保つ。
また、淡泊で静かな生活を自分の在り方として大切にするが、それを“自分は目覚めている”と誇ることはしない。
これこそ仏教で言う、「執着のある世界(法)にも、無執着という観念(空)にもとらわれず、身体も心も共に自由である者」の境地である。
解釈と現代的意義:
この章句は、**「とらわれの二重構造からの自由」**を説いています。
物質にも精神にも執着しない「究極の中道」の境地です。
1. “関わらない”=“拒絶”ではない
- 世俗的な成功や競争を否定せず、それに執着しない態度。
- 他者の営みを否定も、称賛もせず、ただ静かに受け止めるという“柔らかな距離感”。
2. “悟っている自分”を誇ることも執着
- 禅的・仏教的には、「悟った」「わかっている」と思うこと自体が新たな“とらわれ”。
- “自分は醒めている”という意識すら手放せたとき、真の自由に至る。
3. 自在とは“どちらにも属さない”軽やかさ
- 「忙しくても心は静か」「無為であっても怠惰ではない」──こうしたバランスが“自在”。
- 外からも内からも縛られず、どこにいても自分らしく在るという境地。
ビジネスにおける解釈と適用:
1. 競争を俯瞰し、巻き込まれすぎない
- 出世・数字・評価の世界に全力でのめり込むのではなく、一歩引いて見られる視点を持つ。
→ 「関心はあっても依存しない」バランス感覚が成熟をもたらす。
2. “私はわかっている”という優越感に注意
- 自己啓発・マインドフルネス・非競争的リーダーシップなどを実践していても、それを誇りにするのは別のエゴ。
→ 「伝えずとも伝わる人間力」をめざすべき。
3. 本当の自由は、内にも外にも縛られない姿勢から生まれる
- フレームワーク・成功法則・組織文化などに依存しすぎない柔軟な思考。
→ 「ルールを活かし、超える」視点を持つ人が、変化に強い。
ビジネス用心得タイトル:
「とらわれず、とらわれぬことにもとらわれず──自在の心が真の自由を拓く」
この章句は、「形式」「成功」「悟り」「静けさ」など、どんなに高尚に見える価値でさえも“とらわれ”になりうることを教えてくれます。
現代の働き方・人間関係・リーダーシップにも、深く応用できる智慧です。
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