自分の“身”を、つねに間(ま)ある静かな場所――つまり心身の余白を持った場所――に置いておく。
そうすれば、世間でよく言われる**「栄誉」や「恥辱」、「成功」や「失敗」**といった騒々しい評価に、
心を振り回されることはない。
また、自分の“心”を、つねに静けさの中に安定させておくならば、
世間の**「是非」や「利害」**によって惑わされたり、だまされたりすることもなくなる。
つまり、執着や外界の評価から離れ、自分の内側の安らぎを保てば、
世間がどうであれ、心は揺らがず、自由無碍(じゆうむげ)な境地に立てる。
引用(ふりがな付き)
此(こ)の身(み)、常(つね)に間処(かんしょ)に放在(ほうざい)せば、
栄辱(えいじょく)・得失(とくしつ)も、誰(たれ)か能(よ)く我(われ)を差遣(さいけん)せん。
此の心(こころ)、常に静中(せいちゅう)に安在(あんざい)せば、
是非(ぜひ)・利害(りがい)も、誰か能く我を瞞昧(まんまい)せん。
注釈
- 間処(かんしょ):静かで自由な心身の置き所。俗世の喧噪から離れた、精神的余白。
- 栄辱・得失:世間が持ち出す栄誉や恥、得ることと失うこと。
- 差遣(さいけん):意のままに操ること。ここでは「自分を支配・動揺させる」意味。
- 是非・利害:善悪の評価、損得の判断。世間的価値観。
- 瞞昧(まんまい):だまし欺くこと。自分を惑わせること。
関連思想と補足
- 『老子』第13章:「吾れに身無きに及びては、吾れに何の患い有らん」――
自己への執着が苦しみを生む。執着から自由になれば、何ものにも煩わされないという思想。 - 『菜根譚』後集44条にも、外の騒ぎに心を持っていかれず、静けさを守ることの重要性が説かれている。
- 現代のマインドフルネスや、デジタルデトックスといった実践ともつながり、
外部の評価よりも、自分の内面の静けさと自由を大切にする在り方として現代にも活かされる知恵。
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