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一滴の善が、福徳の泉を満たす


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■原文(出典:『ダンマパダ』第十七章 第六偈)

「その果報はわたしには来ないであろう」とおもって、善を軽んずるな。
水が一滴ずつ滴りおちるならば、大きな水瓶でもみたされるのである。
気をつけている人々は、少しずつでも善をなすならば、
やがて福徳にみたされるのである。


■逐語訳

  • 「その果報はわたしには来ないであろう」と思って:すぐには善い結果が出ないからといって、
  • 善を軽んずるな:善い行為を取るに足らないと見なしてはならない。
  • 水が一滴ずつ滴り落ちれば、大きな瓶も満たされる:小さなことの積み重ねがやがて大きな成果を生む。
  • 気をつけている人々は、少しずつでも善をなすならば:心ある人は、小さくとも善を続ける。
  • やがて福徳に満たされるのである:そうした積み重ねが、ついには幸せと功徳をもたらす。

■用語解説

  • 果報(カルマの果):善行や悪行に対して現れる報い。ここでは善行の積みによる福徳。
  • 善(クシュラ):他者のためになり、かつ自己を清める行為。利他・誠実・節制・布施など。
  • 水瓶:人生の蓄積・運命の器。日々の行動がその中に滴り落ちる。
  • 福徳:幸福と功徳。精神的・道徳的な恩恵や社会的信頼として返ってくる善果。

■全体の現代語訳(まとめ)

「この程度の善行で、何の意味があるだろう」と思って善を軽視してはならない。
水が一滴ずつでも落ち続ければ、やがて大きな瓶が満たされるように、
どんなに小さくても善い行いを積み重ねていけば、最終的に福徳に満たされる日が来る。
善は見えなくとも、確実に蓄積されていく。


■解釈と現代的意義

この偈は、「日々の小さな善行の力」を信じることを教えています。
たとえ見返りがなく、誰にも気づかれずとも、心を込めた誠実な行いは、
静かに人生の基盤を支える力になります。
現代の成果主義的な風潮の中で、「目に見える成果」だけでなく、
「目に見えない徳の貯金」を信じて歩むことの大切さが、この教えには込められています。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
信頼構築日々の小さな誠実さ(時間を守る、言葉を丁寧にする)が、やがて大きな信頼に変わる。
継続の力目立たないが、挨拶・共有・サポートなどの地道な行為が、チーム文化の核をつくる。
リーダーシップ劇的な成果よりも、日常の一貫した善意と配慮が、組織を長期的に支える。
セルフブランディング実績よりも人柄で選ばれる時代。小さな善意の積み重ねがその人の価値を高める。

■心得まとめ

「善は微細でも、確実に運命を変える」

大きなことができずとも、小さな善を積む人は尊い。
水瓶を満たすのは、一滴一滴の水であるように、
福徳に満ちた人生を築くのは、日々の誠実な心と行いである。
目に見えぬ貯金こそ、人生を照らす光となるのです。


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