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正しき王道は、乱世の中から誕生する

― 周公と武王は、乱を正し、民を救った

孟子は、前項に続いて「なぜ自分がやむを得ず弁論するのか」という話を、歴史を踏まえて論理的に補強する。

堯・舜という聖人が没した後、聖人の道は次第に衰え、暴君たちが代わる代わる現れた
彼らは民の住居を壊して私的な池を作り、農地を潰して遊楽の花園や狩り場に変え、民から衣食の手段さえ奪った。

「民、安息する所無し」「民、衣食するを得ざらしむ」

さらには、誤った思想や暴虐な行為を唱える者たちも続々と現れた
禽獣が街にあふれ、天下の乱れは紂王の代に極まった。

ここで、周公が兄・武王を補佐し、暴君・紂王を誅し、さらに殷と盟を結んでいた奄(えん)を三年かけて討伐。
紂王の寵臣・飛廉(ひれん)を海辺の果てにまで追いつめて処刑した。

「国を滅ぼすこと五十、虎・豹・犀・象を遠ざけた」

こうして周の政権は成立し、民はようやく安堵の息をついた。
暴政によって虐げられていた民は、王道による政治の実現に大いに喜んだのである。

孟子は、書経の一節を引く:

「丕顯(ひけん)哉、文王謨(ぼう)。丕承哉、武王烈」
― 文王の計画は大いに明らかであり、それを武王が大いに受け継いだ

そして、周王朝の王道は、後の子孫に対しても欠けるところなく正しく導いていると讃えられる。


原文(ふりがな付き引用)

「丕(ひ)いに顯(あら)かなるかな、文王の謀(はかりごと)。丕いに承(う)けるかな、武王の烈(いさお)」
「咸(みな)正を以(もっ)てし、無(な)くして欠(か)くる無し」
― 文王の構想は明晰であり、武王の業績は偉大だった。すべて正しく、欠けるところがない。


注釈

  • 汙池(おち)…民の住居を壊して造られた私的な遊びの池。
  • 園囿(えんゆう)…遊楽のための庭園と狩り場。民の生活を脅かす象徴。
  • 奄(えん)…殷の同盟国。周に抵抗したため討伐された。
  • 飛廉(ひれん)…紂王の側近。象徴的に処刑されたことで悪政の終わりを表す。
  • 丕(ひ)…非常に大きいさま、偉大なこと。

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  • order-out-of-chaos(混乱の中から正義が生まれる)
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この章では、孟子が歴史を鏡として現在の混乱を見据え、王道の必要性を語っていることがわかります。
民が苦しみのなかで希望を見いだしたのは、強さや武力ではなく、徳と義による政治だった――その教訓を孟子は現代(戦国時代)の為政者にも届けようとしているのです。

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