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形だけではなく、本質を保つ――本来あるべき姿を失うなかれ

孔子は、当時の酒器「觚(こ)」を例にとりながら、“本質を見失うこと”への警鐘を次のように述べた。

觚という器は本来、角があるからこそ觚と呼ばれる。
その角が取れてしまったものを、それでも“觚だ”と呼ぶのか?
それはもはや觚ではない。

これは単に器の形状について言っているのではなく、名と実(かたちと中身)の乖離を問うている。
つまり、「名前」や「肩書き」だけを残して、本来の役割や性質を失ってしまう――そんな在り方を孔子は強く戒めているのだ。

例えば、礼の形だけを守って心がこもっていなければ、それは礼ではない。
教師が知識を伝える責任を果たさずに“先生”と呼ばれていても、それは名ばかりの存在に過ぎない。

この短い一句は、人も物も組織も、“本来あるべき姿”を忘れてはならないという、時代を超えて響く教訓を私たちに与えてくれる。


ふりがな付き原文

子(し)曰(いわ)く、
觚(こ)にして觚ならず。
觚ならんや、觚ならんや。


注釈

  • 觚(こ):古代の酒器で、本来は角があるのが特徴。その特徴がなくなれば、もはや“觚”とは呼べない。
  • 觚にして觚ならず:形式としては觚だが、実質的にその本質を失っているという意味。
  • 觚ならんや?:それを本当に“觚”と呼べるのか? という疑問と批判のニュアンスを含む。
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