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決めつけず、ただ正しさに従って判断すること
孔子は、君子――すなわち理想的な人格者――とは、何事においても「こうでなければならない」「こうしてはいけない」と頑なに決めつけない人だと説いた。
君子は物事にあたって、状況や文脈に応じて柔軟に考え、常に「義(正しさ)」に照らして行動を選ぶ。
つまり、好みやこだわり、習慣的な判断に縛られるのではなく、その時々の是非を見極める目と、しなやかに行動を変える胆力をもつ。
どちらかに偏らず、しかし節操を失うこともなく、「義を基準に生きる」というのが君子の知恵である。
君子は、「こうすべき」「こうしてはいけない」と決めつけない。
ただ義に基づいて、是か非かを選ぶのみである。
原文
子曰、士志於道、而恥惡衣惡食者、未足與議也。
書き下し文
子(し)曰(いわ)く、士(し)、道(みち)に志(こころざ)して、悪衣悪食(あくいあくしょく)を恥(は)ずる者は、未(いま)だ与(とも)に議(ぎ)るに足(た)らざるなり。
現代語訳(逐語・一文ずつ)
- 「子曰く、士、道に志して」
→ 孔子は言った。「士(志ある人)が、道(=正しい生き方・真理)を目指すのであれば」 - 「悪衣悪食を恥ずる者は」
→ 「粗末な衣服や食事を恥ずかしく思うようでは」 - 「未だ与に議るに足らざるなり」
→ 「その人とは、道について真剣に語り合うに値しない」
用語解説
用語 | 解説 |
---|---|
士(し) | 志を立て、学びを重んじる人物。理想的な知識人・有徳者を指す。 |
道(みち) | 人としての正道・真理・倫理的生き方。儒教の中心概念。 |
志す(こころざす) | 目標として進む、真剣に追求するという強い意志。 |
悪衣悪食(あくいあくしょく) | 粗末な衣服と食事。物質的に貧しい状態。 |
恥ず(はず) | 恥じる、劣ることを嫌う。ここでは「見栄を気にする」意味。 |
議る(ぎる) | 議論する、話し合う。 |
全体の現代語訳(まとめ)
孔子はこう語った:
「志ある者が、道(正しい生き方)を目指すのであれば、粗末な服や食事を恥じるようではいけない。
そのような者とは、人生や道義について語り合うにはふさわしくない」
解釈と現代的意義
この章句では、**「本気で理想を目指す者は、物質的な体裁を気にすべきではない」**という孔子の倫理的厳しさが示されています。
- 真に道を志す者(士)にとって、見た目や生活の贅沢さよりも、志と誠実さが重要。
- 貧しいことを恥じ、贅沢を誇るようでは、“道”を理解しているとは言えない。
- 孔子は、「見た目にとらわれる人とは深い話ができない」とまで言い切っています。
ビジネスにおける解釈と適用
「理念を持つ者は、見た目や贅沢より“中身”で勝負せよ」
- 志ある起業家やリーダーは、ブランド品や高級な暮らしより、理念と実行力を評価されるべき。
- 見栄を気にするようでは、本質的な価値を提供する思考にならない。
「“道を語る”に値する人とは?」
- 議論すべき相手は、価値観が“外見”ではなく“中身”にある人。
- 孔子は、「志を同じくしない者とは深く議論できない」という厳しい態度を取ることで、本質的対話の重要性を示している。
「採用やパートナー選びに“志”を見る」
- 候補者が何を恥とし、何を誇るかを見れば、その人が“道”に生きているかどうかが見えてくる。
- 「粗衣粗食を気にしない人」は、本質を見抜く力と持続力を持つ可能性が高い。
まとめ
「道を志す者は、体裁を恥じず──“本気”を見抜け、志で語れ」
この章句は、**「外見ではなく、志のある生き方に価値がある」**という、
孔子の根本的な価値観を表したものであり、現代にも強く響く教訓です。
特に、「志を語る相手を見極めよ」というこのメッセージは、経営・人材育成・自己実現すべてにおいて極めて実践的です。
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