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学問とは“失った心”を取り戻すこと――仁は心、義は進むべき道

孟子はこの章で、「仁は人の心、義は人の歩むべき道である」という言葉をもって、学問の本質を端的に示しています。
これは、孟子の性善説に基づいた道徳教育・人格修養の核心的命題
であり、失われた「本心(ほんしん)」を再び探し、取り戻す営みこそが、学問の道であると語ります。


「仁」は心、「義」は道――人としての本質的な構造

孟子はこう断言します:

「仁は人の心なり。義は人の路なり」

  • 仁(じん):他者への思いやり、愛、共感、誠実さなどの「内なる徳」。人の本性に宿る核心。
  • 義(ぎ):社会的に正しい行為、道理にかなった行動、他人と調和した選択。仁を基として現れる「外の振る舞い」

つまり、

  • 仁は“内面”の感情・徳性
  • 義は“行動”の指針・歩むべき道

道を捨て、心を失っても気づかない人間への警告

孟子は、そうした本来あるべき「道(=義)」と「心(=仁)」を捨ててしまう人々について、強い言葉で嘆きます:

「その道を捨てて、それによらず、
その心を放ってしまいながら、それを探し求めようとしない。哀しいことだ」

ここに孟子の最大の警鐘があります。
人間は本来「善き心=本心」を持っていながら、欲望・習慣・怠慢によってそれを失い、しかもそれに無自覚なままになってしまっている――。


鶏や犬は探すのに、心は探さない?

孟子は日常のたとえを通じて、この人間の奇妙な矛盾を浮き彫りにします:

「人は鶏や犬が逃げれば、それを探そうとする。
なのに、自分の“本心”が失われても、それを探しに行こうとはしない

ここにあるのは、人間が本来持っていた道徳心や羞恥心を失っても、気づかずに平然と生きているという孟子の痛烈な批判です。


学問とは、失った本心を取り戻す旅である

孟子は最後に結論をこう述べます:

「学問の道に、他に何があろうか?
放(うしな)った本心を求め取り戻すこと――それがすべてだ

これは孟子が説く教育と修養の本質であり、知識の習得ではなく、**人間としての根源的な「徳の回復」**を目指すものです。


出典原文(ふりがな付き)

孟子(もうし)曰(いわ)く、
仁(じん)は人の心(こころ)なり。義(ぎ)は人の路(みち)なり。

其の路を舎(す)てて由(よ)らず、其の心を放(うしな)いて求むることを知らず。哀(かな)しいかな。

人、雞犬(けいけん)の放することあらば、則(すなわ)ち之(これ)を求むることを知る。
心を放することあって、之を求むることを知らず。

学問の道は他(た)無し。其の放心(ほうしん)を求むるのみ


注釈

  • 仁(じん):人間に本来備わる思いやりの心。孟子における徳性の根源。
  • 義(ぎ):外に現れる正しさ、行動の基準。仁に基づく「路」。
  • 放心(ほうしん):失われた本心。怠惰や欲により見失われた善なる心のこと。
  • 由らず:そこを通らない。つまり正道から外れていること。
  • 哀哉(あいかな):ああ、悲しいことだ。孟子の強い嘆きと批判。

パーマリンク候補(英語スラッグ)

find-your-lost-heart
「失った心を探し求めよ」という孟子の核心的教えをそのまま表現。

その他の候補:

  • heart-and-path(仁と義、心と道)
  • the-way-back-to-yourself(自分を取り戻す道)
  • not-just-knowledge(学問とは知識ではない)

この章は、孟子の思想の中でも**“学問とは何か、人間とは何か”という問いへの端的な答えが込められた珠玉の箴言です。
現代でも、自分の「志」「善なる心」「原点」を見失ったとき、孟子のこの言葉は私たちに
“心の道標”**を与えてくれます。

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