――親の愛をあてにして礼法を捨てるなかれ
太宗は、呉王・李恪に向かってこう諭した。
「父が子を愛するのは天性であり、誰に教わらずとも当然の情である。だが、子が忠孝を尽くさず、礼法を踏みにじれば、たとえ父の愛が深くとも、刑罰を免れることはできない」と。
そして例に挙げたのが、前漢時代の燕王・劉旦(りゅうたん)である。
昭帝が即位した後も、兄である劉旦は自尊心が強く、虚言を弄して朝廷に従わず、ついには霍光の一通の文書により誅殺された。
太宗が強調したのは、「王侯といえども、臣子としての節度を持たねば滅びる」という戒めである。
親の情に甘え、傲慢に振る舞うことは、自滅を招くという厳しい現実を、太宗は歴史の実例をもって伝えている。
引用とふりがな(代表)
「父の子を愛するは、人の常情(じょうじょう)なり。教えずとも知るものなり」
――親の情は自然なもの、だが…
「子たる者、もし忠孝(ちゅうこう)を棄(す)て、礼法(れいほう)を無視すれば、刑戮(けいりく)を免れず」
――礼法を棄てたとき、親の愛も救いにはならない
「霍光(かくこう)一折簡(いっせつかん)にして誅(ちゅう)し、身は滅び国は除(じょ)せられたり」
――一通の書簡で死を迎えた燕王の例
注釈(簡略)
- 李恪(りかく):太宗の第三子。文武に秀でるも、後に謀反の嫌疑で誅される。
- 燕王・劉旦(りゅうたん):漢武帝の第三子。弟・昭帝の即位後に驕慢をきわめ、霍光によって誅殺された。
- 霍光(かくこう):昭帝時代の実力者。実質的に政権を掌握し、燕王誅殺の決定を下した。
- 一折簡(いっせつかん):一通の簡素な書簡、すなわち形式ばらない命令で、重大な決断を下す意。
パーマリンク案(英語スラッグ)
filial-piety-over-privilege
(地位より忠孝を)parental-love-cannot-shield-lawbreakers
(親の愛は法を超えない)example-of-yen-prince
(燕王に学べ)
この章は、単なる親子関係の情愛を越えて、「公私のけじめ」「臣子の義務」といった、帝王学の根幹を突く教訓です。
太宗は、身内だからこそ厳しく、歴史に学ばせようとしており、その姿勢には深い責任感と覚悟が表れています。
ありがとうございます。以下に『貞観政要』巻一「貞観十一年 太宗が王恪に忠孝と礼法の大切さを説いた章」について、いつも通りの構成で整理いたします。
『貞観政要』巻一「貞観十一年 太宗、王恪に忠孝と礼法を説く」より
原文(整形)
貞観十一年、太宗、王恪に謂(い)いて曰く:
「父の子を愛するは、人の常情にして、教えを受けずとも知るところなり。子たる者が忠義と孝行を尽くすことができれば、それでよい。
だが、もし教え導かれずに育ち、礼法を軽んじて捨てれば、自ら刑罰に至る道を招くことになる。父がいかに子を愛していようとも、どうすることができようか。
昔、漢の武帝が崩じて、昭帝が即位したとき、燕王旦はもとより傲慢で放縱し、命令を聞き入れなかった。霍光が一通の命令書で彼を誅殺し、その結果、本人は死に、王国も取り潰された。
それゆえ、臣下や子としての立場の者は、常に慎みを持たねばならぬ」
書き下し文
貞観十一年、太宗、王恪に謂(い)いて曰く:
「父の子を愛するは、人の常情にして、待たずして教訓せずとも知るなり。子、よく忠孝をなせば則ち善し。
もし誨誘(かいい)せられず、礼法を棄(す)つれば、必ず自ら刑戮(けいりく)を致す。父、之を愛すと雖(いえど)も、将(は)た如何(いかん)せん。
昔、漢の武帝崩じ、昭帝嗣立(しりつ)す。燕王旦、素より驕縱にして、命を張(ちょう)ぜず。霍光、簡(ふみ)を一たび折(お)りて之を誅せば、則ち身死し、国除かる。
それ臣子たる者は、慎まざるべからず」。
現代語訳(逐語/一文ずつ)
- 「父親が子を愛するのは人間として当然の感情であり、特に教えられなくても自然にそうなるものだ」
- 「だからこそ、子が忠義と孝行を尽くすなら、それで十分に良い関係が成り立つ」
- 「しかし、もし子が正しく教えられず、礼儀や道徳を無視すれば、自らの行いによって刑罰を招くことになる」
- 「父がどれほど子を愛していても、もはやどうすることもできない」
- 「昔、漢の武帝が亡くなって昭帝が即位したとき、燕王の劉旦はもともと傲慢で勝手な振る舞いをしており、命令にも従わなかった」
- 「そこで、霍光が一通の詔勅(命令書)を出して彼を誅殺し、彼は命を失い、その領国も廃された」
- 「ゆえに、臣として、また子としての立場にある者は、常に慎み深くあらねばならない」
用語解説
- 忠孝(ちゅうこう):忠=主君への誠、孝=父母への孝行。儒教倫理の基本。
- 誨誘(かいい):教え導くこと。教育。
- 礼法(れいほう):礼儀と規範、社会秩序を支える行動規範。
- 刑戮(けいりく):罰せられ殺されること。
- 燕王旦(えんおう たん):前漢の劉旦。武帝の子であり、昭帝の即位後、反乱の疑いで粛清された。
- 霍光(かくこう):前漢の重臣。昭帝の後見役として強大な権力を握った。
- 簡を折る:命令書を発することの慣用表現。簡=木の札、折=命令を下す動作。
全体の現代語訳(まとめ)
太宗は王恪に語った:
「親が子を思う気持ちは自然なものであり、教えるまでもなく本能的な愛情である。しかし、子が礼儀や道徳を軽視し、忠孝を尽くさないままでいれば、自ら刑罰を招くようなことになる。そのとき、いかに父が愛しても助けることはできない。
漢の昭帝の時代、燕王劉旦は放縦な振る舞いで命令にも従わず、霍光の命令で殺され、その国も失った。
臣下や子の立場にある者は、自分の行いに責任を持ち、慎み深く行動することが何より大切である」
解釈と現代的意義
この章句は、**「立場ある者が自身の分をわきまえ、礼と節度を持つべきこと」**を強く説いています。
- 愛されているからといって、好き勝手が許されるわけではない。
- 親の情は無限ではなく、社会秩序や正義の前では無力である。
- 「徳」を欠けば、いかに高貴な血筋であっても滅びる。
これはまさに、「身分ではなく行いが人を決める」ことの実例であり、現代の組織論や家庭教育にも通じる重要な原理です。
ビジネスにおける解釈と適用
- 「身内の甘やかしが組織を壊す」
親族企業・後継者問題などで、“情に流されて無能を放置”することが組織の腐敗につながる。 - 「部下への愛情と、規律の両立」
リーダーが部下を思うならこそ、正しい行動を促す厳しさが必要。放任は愛ではない。 - 「リーダーシップとは、私情ではなく公正に基づく統治」
たとえ親であっても、誤った行動には責任を取らせる覚悟が必要。 - 「自らの立場を“当然”と思わず、行動で正当化せよ」
二世・後継者・権限保持者などは、地位にあぐらをかかず、行動で信頼を勝ち取るべき。
ビジネス用心得タイトル
「情に溺れず、礼に立て──“分”をわきまえる者が信を得る」
この章句は、家庭教育・人事評価・リーダーシップ全般にわたって応用できる「感情と規律の両立」の教訓です。
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