弟子・充虞から「棺が立派すぎたのでは」と問われた孟子は、それに対して丁寧に自身の考えを語った。
孟子によれば、古代には棺や椁(外棺)に寸法の決まりはなかった。しかし時代が下るにつれて、棺は厚さ七寸、椁はそれに見合うようにという基準が定められ、それは天子から庶民まで共通の礼制とされた。
だが、棺を厚くすることの意味は、単に見た目の立派さを追求することではなく、**「子が親に尽くしたいという気持ちを表すこと」**にあるのだと孟子は説く。
制度により棺の仕様を制限されれば、子としての気持ちは満たされない。財がなければ、それもまた悲しみの中に悔いを残すだろう。
だから、制度上許され、資材や財もあるならば、できる限り親のために心を尽くすことは、当然の行いである。
さらに孟子は、棺椁を厚くし、土が直接遺体に触れないようにすることは、人として自然な感情に適うことであり、遺された者の心に「少しでも安らぎをもたらす」行為なのだと述べる。
最後に孟子は、印象的な言葉で締めくくる。
「君子は、天下のために倹約することがあっても、親の葬においては倹約しない」
それほどまでに、親を思い、礼を尽くす心が重要であるということだ。
この章は、「形式や制度の背後にある心」を深く見つめる孟子の思想を如実に表しています。
節約や合理性よりも、親への情と心の納得を大切にする――その姿勢は、今の私たちにも、何を大事にすべきかを問いかけてくれます。
原文
曰、古者棺椁無度;中古棺七寸、椁稱之,自天子達於庶人。
非直爲觀美也、然後盡於人心;不得不可以爲悅、無財不可以爲悅。
得之爲有財、古之人皆用之、吾何爲獨不然?
且比化者、無使土親膚、於人心獨無恔乎?
吾聞之、君子不以天下儉其親。
書き下し文
曰(いわ)く、
「古(いにしえ)は棺椁(かんかく)に度(たくい)無く、
中古には棺(かん)を七寸とし、椁(かく)はこれに称(かな)う。天子より庶人に至るまで然り。
これはただ美観のためのみに非(あら)ず。
これによってこそ、はじめて人の心を尽(つ)くすことができる。財を得ずんば、もって悦(よろこ)びを為すべからず。
財なければ、もって悦びを為すべからず。これを得て財あると為(な)すとき、古の人は皆これを用いし。
我(われ)何のために独(ひと)り然らざらんや。かつ化者(けしゃ)を葬るにあたり、
土をして膚に親(した)しからしむる無きは、人の心において独(ひと)り恔(たの)しきこと無からんや。
我、これを聞けり──
君子は天下をもって、親に倹(けん)せず、と。」
現代語訳(逐語/一文ずつ訳)
- 「昔は、棺や椁の大きさに決まりはなかった」
→ 古代では葬具に厳密な規格はなかった。 - 「中世では棺は七寸(厚さ)とされ、椁はそれに見合うように作られた」
→ 中古になると制度的な基準が定められた。 - 「これはただ見た目を美しくするためだけではない」
→ 形だけの見栄えが目的ではない。 - 「こうしてこそ、ようやく人の心を尽くすことができる」
→ 亡き人や家族に対して、自分の“尽くした”という心のけじめがつく。 - 「財がなければ満足に弔うことはできない。得て使うのならば、それは正当な財の使い方だ」
→ 使うお金に意味があるなら、それは無駄ではない。 - 「昔の人もそうしていた。ならば、私だけが倹約すべき理由はない」
→ 自分だけが形式にこだわって倹しくすることは、心を抑え込む結果になりかねない。 - 「埋葬において遺体の肌が直接土に触れないようにする配慮が、心を安らかにするではないか」
→ 葬送の作法は、生きた者の心を慰める意味がある。 - 「私は聞いた──君子は、天下を治めるときのように倹約を旨としても、親に対しては倹しくしないのだと」
→ 真の君子は、倹約よりも孝を優先する。
用語解説
- 棺椁(かんかく):棺は遺体を納める木箱、椁はその外側に置く箱(二重の棺)。中国古代の葬制。
- 七寸:具体的には厚さの基準。制度化された棺の規格。
- 観美(かんび):外見の美しさ。
- 化者(けしゃ):亡くなった人のこと。
- 土を親らしむる:遺体が直接土に触れること。
- 恔(たの)しきこと無からんや:心が安らかでない、という意味。
- 君子は天下を以て其の親に倹せず:君子たる者は天下を治めるには節約を重んじるが、親に対しては倹しくしない=最大限尽くす。
全体の現代語訳(まとめ)
孟子はこう述べた:
「昔は棺や椁に明確な基準がなかった。中世になると、棺は厚さ七寸とされ、椁もそれに合わせて作るようになった。
これは見栄えのためだけではなく、遺族が“自分の心を尽くした”と納得するためのものでもある。
財がなければ満足に弔うこともできない。得た財でこうした礼を尽くすのなら、それは無駄遣いではない。
昔の人もみなそうしていた。私だけが特別に倹しく振る舞う理由はない。
埋葬の際に、土が肌に触れないように配慮することも、遺族の心にとって非常に重要な慰めだ。
私はこう聞いている──
真の君子は、国家の運営では節約に努めるが、親に対しては倹しくしてはならない。」
解釈と現代的意義
この章句で孟子が語っているのは、**「倹約の美徳と親孝行のバランス」**です。
- 儒家では倹約を重要視しますが、それが**“形式のために心を抑え込む”ことに繋がってはならない**。
- 親を送る葬儀のような場面では、金銭よりも「尽くした実感」が重要であり、そのために財を用いるのは恥ではない。
- 「美しく仕上げる」「丁寧に埋葬する」といった行為が、残された者の心を安らかにする。
孟子はここで、形式的な倹約と真の孝行の間で、人としての誠実さを問うています。
ビジネスにおける解釈と適用
「形式的節約が、本質を損なってはならない」
- 無理なコスト削減が、顧客や社員の心の満足を奪っていないか?
- 真の満足とは、誠意と配慮が感じられることにある。
「感情と儀礼は切り離せない」
- 社内での送別会、弔辞、周年記念なども、人の心を癒す“けじめの儀礼”。
- 「意味がない」「コストだから」と排除せず、人の心に配慮する視点が必要。
「資源を使う意味が“心を尽くす”ことなら、投資である」
- 予算を伴う行為でも、その目的が人への感謝・誠実な対応・信頼回復であるなら、それは価値ある使い方。
まとめ
「倹約に勝る誠意あり──心を尽くす投資は、価値を生む」
この章句は、儒家の理想とされる「礼・孝・節」の価値観を見事に融合させたものであり、現代においても「何にどれだけ費やすべきか」というリーダーの判断基準に大きな示唆を与えます。
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