― 魂の混乱を正すのは、言葉の戦いによってのみ成される
孟子は語る。
孔子が没した後、聖王は現れず、諸侯は勝手放題にふるまい、民間の学者たちも勝手気ままに言論を弄した。
その中で特に影響力を持ったのが、**楊朱と墨翟(墨子)**であった。
楊朱は「為我(わがため)主義」を説いた。
つまり、「自分の利益こそ最上であり、君主の存在すら無意味だ」とする思想である。
一方、墨翟は「兼愛主義」を説き、「すべての人を平等に愛すべき」と唱えた。
しかしこれは、親を親とも思わぬ極端な平等思想であり、孟子はこれを「禽獣のふるまい」だと断じる。
「楊氏為我、是れ無君なり。墨氏兼愛、是れ無父なり。無父無君、是れ禽獣なり」
また、魯の賢人・公明儀はこう言った:
「庖(だいどころ)には肥肉、廏(うまや)には肥馬。しかるに民は飢えて野に餓死者が転がっている」
― これは獣を養って人に食べさせているようなものだ
孟子は強い危機感を抱く。
楊墨の思想が天下に広まり、仁義が行き渡らなくなれば、最終的には人が人を食らう世界になるとまで予見する。
だからこそ、孟子は「先聖の道=孔子の道」を守り、楊朱・墨翟の説を退け、誤った思想・邪説が社会に広がらないよう、筆を執り、言葉を尽くすのだ。
「其の心に作(おこ)れば、其の事に害あり。其の事に作れば、其の政に害あり」
― 心に誤りがあれば、行いに害が生じ、やがて政治にも悪影響を及ぼす
そして孟子は、己の使命に確信を持ち、こう言い切る。
「聖人復(ま)た起こるも、吾が言を易(か)えじ」
― たとえ聖人が再び世に出ても、私の言っていることを否定はしまい
原文(ふりがな付き引用)
「吾(われ)此(これ)が為(ため)に懼(おそ)れて、先聖(せんせい)の道(みち)を閑(まも)り、楊(よう)・墨(ぼく)を距(しりぞ)け、淫辞(いんじ)を放(ほう)ち、邪説(じゃせつ)の者(もの)作(お)こるを得(え)ざらしむ」
注釈
- 楊朱(ようしゅ)…極端な個人主義を唱えた思想家。君主制の否定に近い思想。
- 墨翟(ぼくてき)…兼愛非攻(すべての人を平等に愛し、戦争に反対)を主張。極端な無差別平等が家族倫理を破壊すると孟子は批判した。
- 禽獣(きんじゅう)…倫理や礼を持たぬ者のたとえ。動物的存在。
- 邪説(じゃせつ)…道徳や秩序を破壊する誤った思想。
- 放淫辞(ほういんじ)…節度を欠いた、でたらめな言葉や言説。
パーマリンク候補(英語スラッグ)
fight-wrong-with-truth
(誤りには真理で立ち向かえ)true-mission-of-a-scholar
(学者の本当の使命)danger-of-immoral-ideas
(誤った思想がもたらす危機)
この章は、孟子の言論活動そのものに対する覚悟と自負を明示した宣言文とも言えるものです。
彼にとって、弁論や思想闘争は「好きだから」ではなく、「正しい道が消え去るのを恐れるがゆえ」の義務であり、戦いなのです。
コメント