孟子はこの章で、**「身体の欲望を満たすことは否定しないが、それに偏れば人は堕落する」**と警告します。
大切なのは、飲食(=物質的な滋養)を否定することではなく、それを心や志といった“もっと大きなもの”の養いに結びつけることだという教えです。
役立つものを捨て、つまらぬものを養う愚かさ
孟子はまず、日常的な例を用いて「価値の優先順位を見失うこと」の愚かさを描きます:
「もし植木屋が、桐や梓といった良材を育てず、なつめやいばらのような雑木を一生懸命に育てていたら――
その人は**“賤場師(せんじょうし)=愚かな植木屋”と呼ばれるだろう」**
同様に、
「医者が、一本の指ばかり大事にして、肩や背中の疾患を放っておくなら――
“狼疾人(ろうしつじん)=やぶ医者”と呼ばれるだろう」
これは、部分にこだわって全体を見失うことの愚かさをたとえたもので、
続く本題である「身体の欲望に偏る生き方」への批判に繋がっていきます。
飲食に偏る者は軽蔑される――小を養って大を失うから
孟子ははっきり言います:
「飲食ばかりに心を奪われる者は、誰からも軽蔑される。
それは、小なる口腹を養って、大なる心志を失ってしまうからだ」
つまり、目・耳・口・腹といった感覚的欲望(小)ばかりを養うことは、
人間にとって本当に大切な「心」や「志」(大)を損なう行為である**というのです。
しかし、飲食そのものを否定してはならない
孟子の思想が優れているのは、身体的な滋養を全否定しないことです。
「もし飲食に偏ることなく、心や志を養うことを忘れないなら、
その飲食は単に“尺寸の膚(=身体の皮膚)”を養うだけでなく、
人間の身体を健やかに保ち、心や志を育てる土台にもなる」
つまり孟子は、
- 物質的な滋養(飲食)=“根”
- 精神的な滋養(心志)=“幹と枝葉”
のように、バランスのとれた育て方が大切だと説いているのです。
出典原文(ふりがな付き)
今、**場師(じょうし)有(あ)り。其の梧檟(ごか)を舎(す)てて、其の樲棘(じつきょく)を養(やしな)わば、
則(すなわ)ち賤場師(せんじょうし)**と為(な)らん。
其の一指(いっし)を養い、其の肩背(けんぱい)を失いて知らざれば、則ち**狼疾人(ろうしつじん)**と為らん。
飲食(いんしょく)の人は、則ち人之(これ)を賤(いや)しむ。其の小を養いて大を失うが為なり。
飲食の人、失うこと無ければ、則ち口腹(こうふく)豈(あ)に尺寸の膚(せきすんのふ)の為のみならんや。
注釈
- 梧檟(ごか):桐と梓。良材。=心や志の象徴。
- 樲棘(じつきょく):なつめやいばら。雑木。=欲望や些末なものの象徴。
- 賤場師:役立たずの植木屋。
- 狼疾人:やぶ医者。偏った診断しかできない人物のたとえ。
- 小を養いて大を失う:目先の快楽に偏り、魂の成長を疎かにすること。
パーマリンク候補(英語スラッグ)
feed-the-mind-not-just-the-mouth
「口だけでなく、心も養え」という孟子のバランス重視の思想を明快に表現。
その他の候補:
- don’t-waste-good-wood-on-thorns(良木を捨てて雑木を育てるな)
- appetite-vs-aspiration(食欲か志か)
- small-things-nourish-big-things(小さきものは大を養う土台にもなりうる)
この章は、孟子思想の中でも**「養生と修養」「物質と精神の調和」**を語る重要な箇所です。
飲食や身体の世話も大切だが、それは“心や志を養うための礎”でなければならない。
もし逆に、それだけに執着するなら、人としての価値を失ってしまう――。
現代の「健康ブーム」や「ライフスタイル重視」の潮流の中でも、
**“何のための健康か”**を問い直す上で、この章の教えは非常に示唆的です。
『孟子』告子章句下より
「小を養いて大を失うなかれ──真に価値あるものの見極め」
1. 原文
今、場師、舍其梧檟、養其樲棘、則爲賤場師焉、
養其一指、而失其背而不知也、則爲狼疾人也、
飲食之人、則人賤之矣、爲其養小以失大也、
飲食之人、無失也、則口腹豈爲尺寸之膚哉。
2. 書き下し文
今、場師(じょうし)あり。其の梧檟(ごか)を舎てて、其の樲棘(じょくきょく)を養わば、則ち賤(いや)しき場師と為さん。
其の一指を養いて、其の背を失いて知らざれば、則ち狼疾人(ろうしつじん)と為さん。
飲食の人は、則ち人之を賤しむ。其の小を養いて以て大を失うが為なり。
飲食の人も、失うこと無ければ、則ち口腹は豈に尺寸の膚(すんせきのはだえ)の為みならんや。
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳)
- 「いま仮に木材を扱う市場の専門家(場師)が、
上質な梧檟(家具材)を捨てて、棘の多い役に立たない樲棘を大切にしていたら、
誰もが“無能な材木商人”とみなすだろう。」 - 「また、自分の小指一本を大事にするあまり、背中全体を損ねても気づかない人がいたら、
その人は“身体感覚の狂った異常者(狼疾人)”とされるだろう。」 - 「食べてばかりいる人間を人が軽蔑するのも、
つまらない“口腹(くふく)”を満たすことに執着して、
もっと大切なことを失っているからである。」 - 「だが、もし食事をする人が何も大切なものを失っていなければ、
口腹を満たすことは、単なる“皮膚の感覚(快・不快)”の問題ではなく、
人間にとって本質的な意味をもつ行為となる。」
4. 用語解説
- 場師(じょうし):材木市場などで木の価値を見極める専門家。
- 梧檟(ごか):上質な木材。家具・道具に使える良材。
- 樲棘(じょくきょく):役に立たない雑木・とげのある木。
- 狼疾人(ろうしつじん):異常な病気や精神状態で判断力を失っている人。
- 口腹(こうふく):口と腹。転じて「食欲」「食べること」に象徴される欲望。
- 尺寸の膚(すんせきのはだえ):わずかな部分(ここでは「感覚的欲求」)の比喩。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
孟子はこう言いました:
「立派な材木を扱う専門家が、良材を捨てて役立たずの雑木ばかり集めていたら、
それは“価値を見誤る者”として恥をかくことになる。」
「また、自分の小指を大事にするあまり、背中全体を損ねても気づかないならば、
その人は身体的に異常だと思われるだろう。」
「人が“飲食に執着する人”を軽蔑するのは、
食を楽しむことそれ自体ではなく、
つまらないことにこだわって、もっと大事なこと(志・徳・義)を失うからだ。」
「もし何も損なっていなければ、食欲を満たすことは
単なる表面的な感覚ではなく、“自然な人間の営み”であり得る。」
6. 解釈と現代的意義
この章句は、**「本末転倒することの愚かさ」**を寓話的に説いています。
- 有用なもの(大)を見捨て、つまらないもの(小)を追い求める姿は、
木の目利きが価値を見誤る場師のようなもの。 - 小利・快楽にこだわりすぎて、大義・人格を損なう者は、
健全な感覚を失った“狼疾人”と同じである。
孟子は、「何を優先するか」「何に価値を置くか」という判断の誤りが
いかに人の品位を損なうかを明快に説いています。
7. ビジネスにおける解釈と適用
✅ 「本質と表層の見極め」
- “見た目の売上”に執着して、“顧客信頼”を失っていないか?
- “楽なプロジェクト”ばかり追い、“成長につながる挑戦”を避けていないか?
✅ 「本末転倒に陥らない経営判断」
- コスト削減ばかりに目を奪われ、製品品質や従業員の士気を損ねていないか?
- 小さな得を優先し、会社の長期的ビジョンやブランド価値を損なっていないか?
✅ 「欲望に流されず、志に生きる」
- 「美味しい話」や「瞬間的な快」に飛びついて、本来のミッションを忘れてはならない。
8. ビジネス用心得タイトル
「小を養いて大を失うな──“価値の目利き”こそ、信頼を築く力」
この章句は、現代にも通じる「優先順位」と「価値判断の質」を問う教訓です。
場師のように目利きであれ。志を見誤らず、大を養うビジネスパーソンたれ。
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