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誤った眼差しは、真実から遠ざかる


目次

📜 原文(第二九章 三)

「まことではないものを、まことであると見なし、まことであるものを、まことではないと見なす人々は、あやまった思いにとらわれて、ついに真実に達しない。」


🔍 逐語解釈と要点

  • まことではないもの:一時的なもの、虚構、表面的価値、名誉、欲望、世俗的成功。
  • まことであるもの:不変の真理、実在、道徳的・精神的価値、覚り。
  • あやまった思い:錯覚、執着、偏見、無明(無知の状態)。
  • 真実に達しない:覚醒や悟りに到達できない。真の幸福や自由を得ることができない。

🧠 解釈と現代的意義

この章句は、「認識の誤りが人生を誤らせる」という仏教的洞察を、非常に端的に表しています。
人は時に、見かけの栄光や快楽を「まこと」だと信じて追い求め、逆に、地味で内省的な価値や徳を軽んじることがあります。
しかし、そうした誤った価値観では、真理にたどり着くことはありません。

この言葉は、**何を「本当」として生きているか?**という、人生観そのものへの問いかけです。
まことに生きたいなら、まず「まこととは何か」を見極めなければならない――という、倫理的・認識論的な呼びかけでもあります。


💼 ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
価値判断の誤認売上や派手なマーケティングが「成功」だと思い込むと、本当に顧客にとって価値ある商品開発が疎かになる。
評価の眼差し地味でも本質的な貢献(オペレーション・裏方)を見逃し、表面的なパフォーマンスばかりを重視する組織は、やがて崩壊する。
経営判断一時的な利益やトレンドを「まこと」と見誤り、長期的な信用・信頼を犠牲にすると、企業は持続性を失う。
人間関係人の肩書きや立場だけを見て「本質」だと誤解し、その人の誠実さ・思考の深さを見逃してはならない。

✅ 心得まとめ

「真実は、正しく見る眼にのみ、姿を現す」

人は、見たいものしか見ず、都合のいい「まこと」を信じて生きがちです。
しかしそれでは、真理から遠ざかるばかり。
何がまことで、何が偽りか――それを見極める力こそが、人生の羅針盤となるのです。

現代の情報社会では、錯覚と虚像が日常に溢れています。だからこそ、「まことを見る力」=見識と智慧が、かつてなく重要なのです。


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