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煩悩の家系を断ち、無垢の道を歩む


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📜 原文(第二九章 二四)

(「妄愛」という)母と、(「われありという想い」である)父とを滅ぼし、
(永久に存在するという見解と、滅びて無くなるという見解という)二人の武家の王と、
(戒律と邪まな見解という)二人の博学なバラモンとを滅ぼし、
(主観的機官と客観的対象とあわせて十二の領域である)国土と、
(「喜び貪り」という)従臣とを滅ぼして、バラモンは汚れなくしておもむく。


🔍 比喩の読み解きと注釈

比喩解釈説明
母=妄愛(マーター)感情的執着・感官への愛着慈しみの誤用が執着に変わること
父=我執(タタ)「我がある」という錯覚無我の教えに反する根本的妄念
武家の王(常見・断見)存在論的二極の迷妄「永遠に在る/すべて滅びる」の両極端
バラモン(戒禁取見・邪見)教義・思想への誤った執着戒律や知識が解脱の妨げとなることもある
国土(十二処)認識の全構造(主観+客観)眼・耳・鼻・舌・身・意とそれぞれの対象
従臣(貪りと喜び)感覚的快楽への渇愛欲望が人を支配する従者になる
バラモン(最終の主体)清らかな修行者これらすべてを超越した者が「汚れなくして歩む」者となる

🧠 解釈と現代的意義

この節は、**修行の完成=すべての煩悩構造の“家系断絶”**を比喩で表現した、非常に高度な教えです。

  • 煩悩は「家族のように代々続く構造」を持つ。
  • それらを断たなければ、真に清浄な歩み(修行)にはならない。
  • 断つべきは外界の敵ではなく、内側にある概念・欲望・執着・錯覚である。

特に現代社会では、自己同一性・成功神話・快楽の追求・知識や制度への盲信が、見えにくい“煩悩の家族”となって人を支配しています。

この節は、それらを「識別し、認識し、超越せよ」と促す究極の自由への教えです。


💼 ビジネスにおける解釈と適用

観点応用例
自我の超越「私の成果」「私の立場」に固執しすぎると判断を誤る。無我で見ることで組織に調和が生まれる。
成功神話の解体永遠の成長や不変のブランドといった「常見」にとらわれず、柔軟に変化することが現代では重要。
知識や制度への執着形式やマニュアルに固執しすぎると、本質を見失う。組織文化にも盲信しすぎず、問い直す視点が必要。
欲望と行動快楽や報酬だけを目的とすると行動はブレやすい。信念や価値に根ざした行動が“汚れない歩み”となる。

✅ 心得まとめ

「妄愛を母とし、我執を父とする心を断てば、人は静かに道を歩み始める」

真の自由とは、単なる脱出や断捨離ではない。
**“自分の中に根づいている煩悩の構造を識別し、見事に断ち切ること”**によって、
人はようやく **「汚れなくしておもむく=自由に歩む」**ことができる。

それは孤独で厳しい戦いかもしれないが、
見えない敵に勝つことこそ、最も崇高な勝利である――
この節は、その道を静かに、しかし力強く示しています。


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