源のない名声は、やがて涸れる――真価は内から湧くもの
孟子は弟子の徐子(じょし)からの質問に応え、孔子がしばしば称賛した「水」の徳について語った。
水源の豊かな泉は、昼も夜も絶えることなくこんこんと湧き出し、途中にくぼ地があればそれを満たし、さらに流れを進めて四海に至る。
これは、内にしっかりとした「本(もと)」=根源を持つ者の姿であり、徳や実力が確かな人の例えである。
反対に、一時的な雨によって溝や水路が満たされるような名声や評判は、源がないゆえにすぐに涸れてしまう。
だからこそ君子は、自分の実力を超えた評判や名声を「恥」とするのだと孟子は説く。
原文(ふりがな付き)
徐子(じょし)曰(いわ)く、
仲尼(ちゅうじ)亟(しばしば)水を称して曰く、「水なるかな、水なるかな」と。何をか水に取(と)れるや。孟子(もうし)曰(いわ)く、
原泉(げんせん)混混(こんこん)として、昼夜(ちゅうや)を舎(お)かず。
科(くぼち)に盈(み)ちて而(しか)る後に進み、四海(しかい)に放(はな)つ。
本(もと)有る者は是(かく)の如し。是れ之を取るのみ。
苟(まこと)に本無しと為さば、七八月の間(かん)、雨集まりて溝澮(こうかい)皆盈つるも、其の涸(か)るるや、立ちて待つべきなり。
故に声聞(せいぶん)情(じつ)に過ぐるは、君子(くんし)之を恥ず。
注釈
- 原泉混混(げんせんこんこん):水源の泉がこんこんと湧き続けるさま。努力・人格の本源を示す。
- 四海に放つ:海まで流れ出る。徳が広く自然に及ぶことの象徴。
- 本有る者/本無し者:徳や内実を持つ者/持たない者の対比。
- 溝澮(こうかい):田の小さな溝(溝)と大きな排水路(澮)。一時的な水=一時的な評判のたとえ。
- 声聞(せいぶん):名声・評判。
- 情に過ぐる(じつにすぐる):実態以上であること、実力を伴わない評判。
心得の要点
- 真に長く続く名声は、しっかりした人格と実力の「源」から生まれる。
- 一時的に評判を得ても、徳や実が伴わなければそれはすぐに消える。
- 君子は、外の名声よりも内の本質を大切にする。
- 評判に見合うだけの「中身」がなければ、むしろ恥とすべきである。
パーマリンク案(スラッグ)
- fame-must-match-substance(名声は実に応じて)
- no-source-no-flow(源なき流れは尽きる)
- honor-comes-from-within(名誉は内から湧くもの)
この章は、現代のSNS時代やビジネスシーンにも通じる、「中身なき評価」に対する警鐘として非常に深い示唆を与えてくれます。
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