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外を制しても、内が乱れていれば、それは偽りの修行である


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📜 引用原文(日本語訳)

「運動器官を制御しても、思考器官(意)により感官の対象を想起しつつ坐す心迷える人、
彼は似非行者と言われる。」
(『バガヴァッド・ギーター』第3章 第6節)


🔍 逐語訳

「身体の行為器官を抑えて外的には動かないようにしていても、
心(マナス)が感覚の対象(欲・快楽など)を思い描き続けているならば、
その人は錯乱した者であり、『偽りの修行者(偽ヨーギン)』と呼ばれる。」


🧩 用語解説

  • 運動器官(カルマインドリヤ):手・足・口など、身体的な行為を行う器官。
  • 思考器官(マナス/意):心・思念・欲望の中心。外的な制御を受けず、内面において想像・記憶・欲望を持つ働き。
  • 感官の対象:五感を通じて知覚されるもの(音・色・味・感触・香りなど)およびそれにまつわる欲望。
  • 似非行者(偽ヨーギン):外見的には禁欲的・瞑想的に見えても、内面に欲望・執着を抱える人。

🗣 全体の現代語訳(まとめ)

この節は、外見や形式にとらわれた修行の危うさを指摘しています。
たとえ身体的な行動を止めて静かにしていても、心の中で欲望や執着が巡っているなら、それは真の修行ではない。
本当のヨーガ(統一・制御)は、行動だけでなく、心の領域においても一致していなければならないと説かれます。


💡 解釈と現代的意義

この節は、「行動を抑えるだけでは不十分である」という現代にも通じる深い洞察を含んでいます。
現代社会でも、外見は静かで模範的に見える人が、内面では不満・執着・欲望に悩んでいることがあります。
本当の成熟や修行とは、外見の整え以上に、内面の静けさと一致が必要だということを教えています。


🏢 ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
リーダーの誠実さ外では冷静沈着にふるまっても、内心が怒りや疑念に満ちていると、言動の一貫性がなくなり信頼を失う。
本音と建前の一致会議では建前を語るが、内心で否定的であれば、組織に真の推進力は生まれない。意識と行動の整合性が重要。
自己認識とセルフマネジメント「何もしていないのに疲れる」のは、内面で常に欲望や不安が動いているから。行動よりまず心を観察・整理する習慣が必要。
ブランドや文化づくり社是や価値観が掲げられていても、実際の行動や内面がそれに反していれば、企業文化は育たない。内外の一致が信頼と魅力を生む。

🧠 心得まとめ

「沈黙していても、心が騒がしければ、それは偽りの修行である」

人は行動を止めることはできても、心を静めることはもっと難しい
だからこそ、見た目の整えだけではなく、**「内面で何を思い描いているか」**に気づき、
それを調律することが、本物の修行であり、本物の仕事であり、本物の生き方です。


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