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すべてを捨て、ひとり静かに、真理に向き合う者


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■引用原文(日本語訳)

糞掃衣をまとい、やせ細り、血管が浮き出ているような姿で、
森の中にただひとり坐し、瞑想にふける人――
その人を、私は〈バラモン〉と呼ぶ。

(『ダンマパダ』第395偈|第二六章「バラモン」)


■逐語訳

  • Paṃsukūlāni dhārento:糞掃衣を身にまとい
  • Pavivitto anaññuto:孤独に、誰とも交わらず
  • Vevantaṃ paliguṇṭhitaṃ:やせ衰え、血管が浮き出た肉体
  • Jhāyantaṃ vanamhi jhāyinaṃ:林中で瞑想に没頭する人
  • Taṃ ahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ:その人こそ、私はバラモンと呼ぶ

■用語解説

  • 糞掃衣(paṃsukūla):道端や火葬場などで捨てられた布を拾い、縫い合わせて作った僧衣。清貧・無所有の象徴。
  • やせ衰え(vevantaṃ):執着を捨てた厳しい修行による肉体の変化。
  • 血管があらわれ(paliguṇṭhitaṃ):極度の節制によって体表に現れる変化。
  • 林の中(vanamhi):世間の喧騒から離れた静寂の場。心を整えるための修行空間。
  • 瞑想する人(jhāyinaṃ):サマーディ(禅定)に入って真理を見つめる修行者。

■全体の現代語訳(まとめ)

世俗の装飾を捨て、粗末な布をまとい、食を節し、孤独の中で深く瞑想に入る者――
その人こそ、すべての欲を超え、心を一点に集中させ、内なる自由を求めて歩む本当の意味での〈バラモン〉である。


■解釈と現代的意義

この偈文は、真の修行者とは「孤独の中で自己と向き合い、執着を捨てた人」であると説いています。
外見の質素さややせ細った身体は、単なる苦行の象徴ではなく、**「欲を手放した証」**です。
現代では、物や情報、関係性が過剰な時代において、こうした「静けさを選び、内に向かう姿勢」が忘れられがちです。
しかし、この偈は、本当の豊かさとは何か、本当の集中とは何かを私たちに問うてきます。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
ミニマリズムと集中力情報や刺激を減らし、深く考える時間を持つことで、真の洞察が生まれる。シンプルな環境こそ創造の源。
孤独の価値常に周囲に流されず、あえて一人の時間を取り、思考を深めることで、自己軸と創造性が育まれる。
執着からの解放物質的な報酬や評価にとらわれすぎず、内的成長に重きを置く姿勢が、持続的なリーダーシップを育てる。
サステナブルな働き方豪華さや過剰さを求めず、必要最低限のリソースで最大限の成果を生む思考が、環境にも心にもやさしい働き方を促す。

■心得まとめ

「すべてを捨てて、真に向き合うとき、真理は静かに訪れる」
華やかさや快適さを求めず、
静寂と簡素の中で、自分自身と向き合う――
そこにしか到達できない「深い智慧」と「本物の自由」がある。
ビジネスにおいても、雑音を捨て、集中し、
“本当に必要なものだけ”に心を注ぐことが、
大きな成果と持続的な充足につながるのです。

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