目次
📖引用原文(日本語訳)
この二つの極端説を熟知しないで、
愚者たちはそこに耽る。
しかし他の愚者たちは走り過ぎて行く。
眼ある人はかれらをよく見とどける。
――『ダンマパダ』 第二七章「観察」第十三節
🧩逐語訳
- この二つの極端説:第十一節と第十二節で述べられた「禁欲的執着」と「快楽主義」の両極端。
- 熟知しないで:その危険性や本質を理解せずに。
- 愚者たちはそこに耽る:一方の極端(善への執着や快楽)に没入し、囚われてしまう。
- 他の愚者たちは走り過ぎて行く:別の方向(例えば極端な享楽、極端な自己放棄)へと暴走する人々。
- 眼ある人:真理を見抜く眼(智慧)を持つ人。
- 見とどける:愚者たちの行動の偏りや愚かさを冷静に観察し、その本質を理解する。
🧠用語解説
- 愚者(バーラ):無知・無明によって正しい判断ができない人。自己中心的な理解に陥っている。
- 二つの極端説(アンタ):①善行・禁欲への過度な執着、②快楽・感覚追求の肯定という、いずれも仏教が排する両極端。
- 眼ある人(チャックフマー):仏教において、洞察・智慧(パンニャー)を得た修行者・覚者を象徴する表現。
🪷全体の現代語訳(まとめ)
禁欲的な修行に固執する者、あるいは快楽に溺れてそれを人生の目的とする者――
これら両極端の生き方を理解しない愚者たちは、いずれかの道に耽溺してしまう。
また中には、さらに深く極端へと走り去る者さえいる。
しかし、智慧ある者は、そうした愚かさと混乱を静かに見極め、それに巻き込まれない。
🌱解釈と現代的意義
この句は、私たちが陥りがちな「両極への偏り」――すなわち、「頑張りすぎる」か「欲に流されるか」という極端な姿勢――を戒めています。
そして、それに気づかず突き進む人々を、智慧ある者は決して咎めず、ただよく観察し、そこから自らの進むべき“中道”を見出すのです。
成熟とは、「他人を非難せず、自らを律する力」にほかなりません。
💼ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 実務への応用例 |
---|---|
両極端な思考回避 | ワーカホリックか無関心のどちらかに偏るのではなく、持続可能でバランスの取れた働き方を模索する。 |
他者の行動観察力 | チーム内で極端な行動(過剰な自己犠牲や逆に放任的態度)を冷静に観察し、対話とサポートの機会を探る。 |
価値判断の中庸性 | 結果主義や完全理想主義に偏らず、「今この状況で何が最善か」を判断基準に据える。 |
リーダーとしての洞察 | メンバーの姿勢を「評価」ではなく「観察」する目を持つことで、柔軟かつ深いマネジメントが可能になる。 |
📝心得まとめ
「迷いに耽るも、走り過ぎるも、いずれも道を見失う。見る者は黙して中道を歩む」
“善”に酔い、“快楽”に溺れる者たちは、いずれも執着という鎖につながれている。
智慧ある人は、彼らを非難することなく、その在りようをよく見つめ、ただ自らの足元を確かめながら進む。
それが“中道”――過不足なく、静かに、深く生きる智慧の道です。
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