行き過ぎも、行き足りなさも、どちらも中道を欠くということ
弟子の子貢(しこう)が、孔子にたずねた。
「師(し:子張)と商(しょう:子夏)では、どちらが優れていますか?」
孔子はこう答える。
「師は行き過ぎるところがあり、商はやや足りないところがある」
子貢はさらに問う。
「それならば、師(子張)のほうが商(子夏)より優れているということでしょうか?」
孔子は首を横に振り、静かに言った。
「過ぎたるは、なお及ばざるがごとし――
どちらも“中庸”を欠いており、優劣をつけることはできない」
このやりとりは、極端な姿勢がいかに危ういかを教えている。
熱心すぎて逸脱する者も、慎重すぎて到達しない者も、どちらも「道」の真ん中にはいない。
孔子が理想としたのは、極端に偏らないバランスのある生き方=中庸であり、どちらかに傾くことを賢いとはしなかった。
引用(ふりがな付き)
子貢(しこう)問(と)う、師(し)と商(しょう)と孰(いず)れか賢(まさ)れる。
子(し)曰(い)わく、師や過(す)ぎたり。商や及(およ)ばず。
曰(い)く、然(しか)らば則(すなわ)ち師愈(まさ)れるか。
子(し)曰(い)わく、過(す)ぎたるは猶(なお)及(およ)ばざるがごとし。
注釈
- 子貢(しこう):孔子の弟子。鋭い観察眼と論理的思考を持ち、たびたび師に本質的な問いを投げかけた。
- 師(し):子張。行動的で熱意が強すぎる傾向があった。
- 商(しょう):子夏。慎重で学問に深く、やや控えめな人物。
- 過ぎたるは猶お及ばざるがごとし:行きすぎたものは、行き足りないものと同様に問題がある。バランスこそが重要という意味。
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