— 才能よりもまず、人柄を見極めよ
太宗は、魏徴にこう語った。
王者は、官職にふさわしい人材を選び、軽々しく登用してはならない。なぜなら、自らの行動や言葉はすべて天下の手本となり、善人を用いれば善人が集まり、悪人を用いれば悪人が群がってしまうからだ。
賞罰のあり方も同様で、賞が真に功績ある者に与えられれば、無能な者は自然と退き、罰が罪に応じていれば、悪事を働く者も恐れるようになる。
だからこそ、賞罰は慎重に、ましてや人材登用はなおさら熟慮が必要なのだ――と。
魏徴はこれに応えて、人を知ることは古来より難しいとしながらも、過去の行いを繰り返し調べることで判断すべきだと述べた。
そして、「善人を登用して仕事ができなかった場合は、才の不足にすぎず、大きな害にはならない。だが、悪人を登用して才幹があった場合は、その害は甚大だ」と断言した。
乱世においては才が優先されても仕方ないが、太平の世では才と徳の両立が必須である――それが、真に任用すべき人材なのだ。
ふりがな付き引用
「貞(じょう)観(がん)六年(ろくねん)、太宗(たいそう)、魏徴(ぎちょう)に謂(い)いて曰(いわ)く、
『古人(こじん)云(い)う、「王者(おうじゃ)は須(すべか)らく官(かん)のために人(ひと)を擇(えら)び、不可(かなら)ず軽(かる)くして即(すなわ)ち用(もち)うべからず」と。
今(いま)一(いち)事(じ)を行(おこな)えば、則(すなわ)ち天下(てんか)の観(み)る所(ところ)と為(な)り、一言(いちげん)を出(い)だせば、則ち天下の聴(き)く所と為る。
正人(せいじん)を用(もち)うれば、善(ぜん)なる者(もの)皆(みな)勧(すす)み、不正(ふせい)なる人(ひと)を用うれば、不善(ふぜん)なる者(もの)競(きそ)いて集(あつ)まらん。
賞(しょう)、其(そ)の労(ろう)に当(あ)たれば、功(こう)無(な)き者(もの)は自(おのずか)ら退(しりぞ)き、罰(ばつ)、其の罪に当たれば、悪(あく)を為(な)す者は戒懼(かいく)す。
故(ゆえ)に知(し)るべし、賞罰(しょうばつ)は軽(かる)々(がる)しく行(おこな)うべからず。用人(ようじん)はいよいよ愼擇(しんたく)すべし』。
徴(ちょう)對(こた)えて曰(いわ)く、
『人(ひと)を知(し)るの事(こと)、古(いにしえ)より難(なん)と為(な)す。故(ゆえ)に績(せき)を考(こう)し、黜陟(ちゅっちょく)して、其(そ)の善悪(ぜんあく)を察(さっ)す。
今(いま)人(ひと)を求(もと)めんと欲(ほっ)すれば、必(かなら)ず須(すべか)らく其(そ)の行(こう)を審訪(しんぼう)すべし。若(も)し其の善を知(し)りて、然(しか)る後(のち)に之(これ)を用(もち)う。
設(たと)い令(し)かば、此(こ)の人(ひと)事(こと)を済(な)す能(あた)わずと雖(いえど)も、只是(ただこれ)才力(さいりょく)足(た)らざるのみにして、大(だい)いに害(がい)を為(な)さず。
若(も)し悪人(あくにん)を用(もち)い、仮(たと)い令(し)かば強幹(きょうかん)なりとも、害(がい)を為(な)すこと極(きわ)めて多(おお)し。
但(ただ)乱世(らんせい)は惟(た)だ其の才(さい)を求(もと)めて、其の行(こう)を顧(かえり)みず。太平(たいへい)の時(とき)は、必(かなら)ず才行(さいこう)ともに備(そな)わりて、始(はじ)めて任用(にんよう)すべし』。」
注釈
- 賞罰(しょうばつ):政治の基本原則。善悪に応じて公正に行うことで、人心は治まる。
- 黜陟(ちゅっちょく):悪い者を退け、良い者を引き上げること。古代中国の人事制度の理想。
- 強幹(きょうかん):仕事に強い、能力のある者の意。
- 才行(さいこう):才能と人徳。どちらも兼ね備えることが理想の人物像とされる。
ありがとうございます。今回は『貞観政要』巻一「貞観六年」に記された、唐の太宗と魏徴による“人材登用と賞罰の慎重さ”に関する対話です。この章句は、「リーダーによる人選・発言・処遇が全社会に与える影響」を的確に見抜いた、統治哲学の真髄が込められています。
以下、ご指定の構成にて丁寧に整理いたします。
題材章句:
『貞観政要』巻一「貞観六年」──人材登用と賞罰の慎重さについて
1. 原文
貞觀六年、太宗謂魏徵曰、「古人云、王者須爲官擇人、不可苟且即用。今行一事、則爲天下所觀、出一言、則爲天下所聽。用得正人、爲善者皆勸;用惡人、不善者競進。賞當其勞、無功者自退;罰當其罪、爲惡者戒懼。故知賞罰不可輕行、用人彌須愼擇」。
徵對曰、「知人之事、自古爲難。故考績黜陟、察其善惡。今欲求人、必須審訪其行。若知其善、然後用之。設令此人不能濟事、只是才力不及、不爲大害。若用惡人、假令強幹、爲害極多。但亂世惟求其才、不顧其行。太平之時、必須才行俱全、始可任用」。
2. 書き下し文
貞観六年、太宗、魏徴に謂(い)いて曰く、
「古人は言った、王者たる者は、官に任ずるには人を選ばねばならず、苟且(こうしょ)に即(すなわ)ち用うるべからずと。
いま一事を行えば、天下の人々がこれを見、ひと言を発すれば、天下の人々がこれを聞く。
正しい人物を用いれば、善を行う者はみな励まされ、悪しき人物を用いれば、不善の者が争って進むようになる。
功績ある者に報いれば、無功の者は自ら退き、罪ある者を罰すれば、悪をなす者は懲(こ)りて恐れる。
ゆえに、賞罰は軽々しく行うべきではなく、人を用いるにはいよいよ慎重を要す」。
魏徴、対えて曰く、
「人を知るということは、古来より難事であります。
ゆえに、功績によりて昇降し、その善悪を観察するのです。
今、人を求めんとするならば、その行いをよく調べねばなりません。
もしその人が善であると知れたのちに任じれば、仮にその者が仕事を果たせなかったとしても、それは才能・力量の不足に過ぎず、大きな害にはなりません。
もし悪しき者を用いたならば、たとえ能力が高くとも、その害は極めて甚大です。
乱世においては、能力だけを求めて人の行いを顧みません。
しかし太平の世には、才と行いの両方を備えた者でなければ、任用してはなりません」。
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳)
- 「貞観六年、太宗は魏徴に語った。
『古人は言った。“王者が官を任ずる際は、必ず人を慎重に選ぶべきであり、軽率に用いてはならぬ”と。』」 - 「『いま、君主が一つの行動を起こせば、それは世間全体の注目を集める。ひとつ言葉を発すれば、世間の耳目を集める。』」
- 「『正しい人物を任用すれば、善行を志す者が皆励まされる。
だが悪人を登用すれば、不正をなす者が我も我もと集まってくる。』」 - 「『功のある者には正しく褒賞を与えれば、功なき者は自ら退く。
罪のある者に適正に罰を与えれば、悪をなす者は恐れを抱いて自制するようになる。』」 - 「『だからこそ、賞罰を行う際には軽率であってはならず、人を用いるにあたってはなおさら慎重でなければならないのだ』」
- 「魏徴は答えた。
『人を見抜くということは、古来もっとも難しいことでございます。
だからこそ、実際の実績によって昇進・降格を判断し、その人の善悪を見定めるのです。』」 - 「『人を採用しようとするのであれば、まずその人の行いを詳しく調べなければなりません。
そしてその人物が善良であることを確認したうえで任用すれば、仮に仕事が上手くいかなくても、それは能力不足にすぎず、組織に大きな害を与えることはありません。』」 - 「『しかし、もし悪しき者を登用すれば、たとえ能力が高くとも、そのもたらす害は甚大です。
混乱の時代ならば能力を優先して行いを問わぬかもしれませんが、太平の世においては、才と徳がともに備わった者でなければ、任用してはなりません』」
4. 用語解説
- 苟且即用(こうしょそくよう):軽率に、その場しのぎで人を登用すること。
- 景行(けいこう):高潔で正しい行い。
- 功・罪に応じた賞罰:実績評価に基づく正当な人事処遇のこと。
- 知人之難(ちじんのなん):人を見抜くことの困難さ。儒家における永遠の課題。
- 黜陟(ちゅっちょく):功績に応じて昇進・降格させる制度。
- 強幹(きょうかん):能力が高く、よく仕事をこなすこと。
- 太平之時(たいへいのとき):平和で安定した世の中。理想政治が目指される時代。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
太宗は魏徴に語った──
「昔から、賢明な君主は官僚を登用する際には慎重であり、軽率に任命することはなかった。
今の時代、私の一つの行動や言葉が国中に影響を与える。
だからこそ、善人を用いれば良い者が励まされ、悪人を用いれば不正をなす者たちが集まり出す。
賞や罰もまた、適切に行われてこそ組織は保たれる。
ゆえに、賞罰も人事も、軽々しく行ってはならない」
魏徴は答えた──
「人を見抜くのは昔から難しいことです。だからこそ、実績に基づいて昇進・降格し、その人の善悪を観察すべきです。
人を採用するならば、まずその人の行いを調べるべきであり、それが善良であれば、たとえ実務で失敗しても害は小さい。
しかし、悪人を登用してしまえば、たとえ有能でも、必ず大きな害をもたらします。
乱世ならば能力を優先せざるを得ませんが、太平の時代であれば、才能と徳行の両方を備えた者でなければ登用してはなりません」。
6. 解釈と現代的意義
この章句が示す本質は、**「人事と賞罰が組織全体の倫理と行動に与える影響力の大きさ」**です。
- 太宗はリーダーの“見られている意識”と、“採用と評価の社会的影響”を熟知しており、**「リーダーの振る舞いが組織文化を形づくる」**という今日的な組織論に通じています。
- 魏徴の言葉からは、「徳のある人物を登用せよ」という古典的倫理観とともに、「失敗しても人間性の良さがあれば再起できる」という寛容な考えも読み取れます。
7. ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)
A. リーダーの人事・処遇は“メッセージ”である
- 上層部が誰を登用するか、誰に報酬を与えるかは、社内に強いメッセージを放つ。
→「あの人が出世したのだから、自分もこう振る舞えばいいのか」と社員の行動基準になる。
B. 能力よりも“人物”で選べ
- 魏徴のように「悪人で能力が高い人材」の危険性を認識し、“人物本位”で登用・配置を行うことが、中長期的な組織の安定を保つ。
C. 安定期こそ慎重な人事を
- 組織が混乱している時はスキルが優先されがちだが、安定期こそ「文化と価値観を体現できる人材」の登用が重要。
8. ビジネス用の心得タイトル
「登用と賞罰は組織の風を決める──慎重な人事が正しさを育てる」
この章は、採用、評価、報酬制度すべてに関わる本質を突いています。
組織にとって何を基準に人を評価すべきか、改めて問い直す重要な指針となる章句です。
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