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高みを仰ぎつつ、尽くしても尽くせぬ学びの楽しさ

高弟・顔淵(がんえん)が、孔子を思って深く嘆息しながらこう語った。

「先生は、仰ぎ見れば見るほど、なお高くおられる。
のみで岩を穿とうとしても、ますます硬くなるように、理解しようと近づくほどに、その深さに打たれる。
目の前におられるかと思えば、ふと後ろにおられるような不思議さがある。
先生は、私たちに知識(文)を広く教え、礼によって行動の節度を与えてくださる。
その教えは丁寧で、一歩ずつ導いてくださるが、決して易しくはない。だが、楽しくてやめられない。
気づけば、自分の才能を出し尽くしている。それでも、先生は堂々と、さらに先に立ち続けておられる。
ついていこうとしても、どうしてもその背中には追いつけない——」

この章句は、どれだけ学び、どれだけ努力しても、まだ上に手本があるという幸せ、そしてその限りなさへの感動を語っている。

孔子は“到達できない存在”ではなく、**「決して止まることなく導き続けてくれる存在」**であった。
その学びの道は厳しくも美しく、「追いつけないからこそ追いかけたい」と弟子に思わせる魅力に満ちていた。


原文(ふりがな付き)

「顔淵(がんえん)、喟然(きぜん)として歎(たん)じて曰(いわ)く、之(これ)を仰(あお)げば弥々(いよいよ)高(たか)く、之(これ)を鑽(き)れば弥々(いよいよ)堅(かた)し。之(これ)を瞻(み)れば前(まえ)に在(あ)り、忽焉(こつえん)として後(うし)ろに在(あ)り。夫子(ふうし)、循循然(じゅんじゅんぜん)として善(よ)く人(ひと)を誘(いざな)う。我(われ)を博(ひろ)むるに文(ぶん)を以(もっ)てし、我(われ)を約(つづ)むるに礼(れい)を以(もっ)てす。罷(や)めんと欲(ほっ)して能(あた)わず。既(すで)に吾(わ)が才(さい)を竭(つ)くす。立(た)つ所(ところ)有(あ)りて卓爾(たくじ)たるが如(ごと)し。之(これ)に従(したが)わんと欲(ほっ)すと雖(いえど)も、由(よ)る末(な)きのみ。」


注釈

  • 鑽(き)る…穴をあける。深く学ぼうと努力することの比喩。
  • 忽焉(こつえん)として…たちまち、すぐに。気づけば見失うようす。
  • 循循然(じゅんじゅんぜん)…順序立てて、丁寧に導くさま。
  • 博(ひろ)むるに文(ぶん)を以てす…学問や知識の広がりをもって教えること。
  • 約むるに礼を以てす…礼儀で引き締めるように教えること。
  • 卓爾(たくじ)たる…堂々と高く立っているさま。まさに師の姿。
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