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自分すら己のものにあらず──執着を超えて、自由に生きよ


目次

引用原文(現代語訳)

「わたしには子がいる。わたしには財がある」と思って、
愚かな者は悩む。
しかし、すでに自分が自分のものではない。
まして、どうして子が自分のものであろうか。
どうして財が自分のものであろうか。


逐語訳と用語解説

表現解釈・補足
「わたしには子がいる。財がある」所有の観念。自己の外部にあるもの(子・財産)を「自分のもの」と考える思考。
愚かな者は悩む執着や所有欲を真実だと信じる者は、それに苦しみ、失うことに怯える。
自分が自分のものではない五蘊(色・受・想・行・識)によって構成された仮の存在である「自分」は実体がなく、所有されるべき「本体」など存在しないという無我の教え。
子や財は自分のものではない自分が自分の所有ではないのならば、他者や物が「自分のもの」であるはずがないという論理的帰結。

全体の現代語訳(まとめ)

「自分には家族がいる」「財産がある」と思い込んで、
それらを失うまいと執着する人は、
そもそも自分自身さえもが、真に自分のものではないという真理に気づいていない。
自分すら所有できないのに、
どうして子どもや財産を「自分のもの」と言えるだろうか。


解釈と現代的意義

この偈は、仏教の根幹教義である「無我(アナッター)」の教えを、生活レベルに引き寄せて説いたものです。
私たちは「自分の子」「自分の財産」「自分の人生」など、無意識のうちに「所有」しようとします。
しかし仏教は、「そもそも“自分”というものに実体がない」ことを教えています。
つまり、すべては縁起により一時的に集まっているものであり、それらにしがみつけば苦しみが生じるのです。

この偈は、「執着こそが苦の根源である」と改めて気づかせてくれる、深い内省の言葉です。


ビジネスにおける解釈と適用

観点実践的な適用例
権限と役職への執着地位や肩書きに固執すると判断が濁る。地位も役割も一時的で、自己そのものではないと知るべき。
所有資源への過信資産・知識・人材を「自社のもの」と過信せず、失う可能性も含めて柔軟な視点を持つ。
親子・後継関係の在り方子を「自分の延長」とみなすのではなく、一個の独立した存在として尊重する姿勢が、良き継承を育む。
自我と組織の健全性自己や業績への執着を手放すことで、チームの調和・全体最適が生まれる。

心得まとめ(感興のことば)

「自分さえ自分のものではない」
命も体も、心もすべて借りものであり、
子も財もまた、一時的な縁によって結ばれただけの存在。
だからこそ、
握りしめるのではなく、
感謝して共にあり、手放す覚悟を持て。
執着を超えたところに、自由な人生が始まる。


この偈は、「真に自由に生きるとは、執着の鎖を断つことから始まる」ことを、簡潔かつ鋭く教える珠玉の教えです。

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