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大人物と小人物を分けるもの――「心を立てる」ことがすべての分岐点

孟子はこの章で、「人間は皆平等な存在でありながら、なぜ大人物と小人物に分かれてしまうのか?」という問いに、“心”の扱い方こそが分かれ道であると明快に答えています。
同じ人間でも、大きく生きるか、小さく生きるか――それは「思う力=心の官能」をどこまで真剣に育て、打ち立てているかにかかっているのです。


同じ人間でも、大人物と小人物がいる理由とは?

公都子は孟子に尋ねます:

「同じ人間であるのに、なぜ大人(たいじん)になる者と、小人(しょうじん)になる者がいるのですか?」

孟子の答えは端的です:

「大きな本性(=大体)に従えば“大人物”となり、
小さな欲望(=小体)に従えば“小人物”となる」

この「大体」とは、孟子の性善説に基づいた本来の良知良能(仁義の心)のこと。
そして「小体」とは、耳・目・口・腹といった感覚的・物欲的な官能
のことを指しています。


なぜある人は“大体”に、ある人は“小体”に従ってしまうのか?

さらに公都子が追い問いをします:

「同じ人間であるのに、ある者は大体に従い、ある者は小体に従うのはなぜでしょうか?」

ここで孟子は、「心」と「感覚器官」の違いに踏み込みます。

● 感覚は「思わない」から、外に流されやすい

「耳や目などの官能(感覚器官)は、思う力がない。だから外物にすぐ動かされ、次から次へと引き込まれてしまう」

つまり感覚は受動的・反射的なものであり、自ら「正しいかどうか」を判断する機能を持ちません。

● 心は「思う」ことができる

「しかし、心の官能は“思う”ことができる
思えば“道理”を得るが、思わなければ得られない」

ここでの「思う」とは、内省し、是非を判断し、理を理解する力を指します。
つまり、人間が大人物になるかどうかは、「心を鍛え、思う力を働かせるか」によるのです。


まず“心”という大なるものを打ち立てよ

孟子の核心的メッセージがここにあります:

「この“心”と“耳目”は、ともに天から与えられたものである。
だが、まず“大なるもの=心のはたらき”をしっかり立てれば、
小なるもの=耳目・口腹はそれを奪うことはできない

これこそが孟子の「先立乎其大者(まず大なるものを立てよ)」の思想です。
“心を立てる”ことが、人間を大人物たらしめる唯一の方法だと断言しています。


出典原文(ふりがな付き)

公都子(こうとし)問(と)うて曰(いわ)く、鈞(ひと)しく是(こ)れ人なり。
或(ある)いは大人(たいじん)と為(な)り、或いは小人(しょうじん)と為るは、何(なん)ぞや。

孟子曰く、其の大体(だいたい)に従えば大人と為り、其の小体(しょうたい)に従えば小人と為る。

曰く、鈞しく是れ人なり。或いは其の大体に従い、或いは其の小体に従うは、何ぞや。

曰く、耳目の官(かん)は思わずして物に蔽(おお)わる。物、物に交(まじ)われば、則ち之を引くのみ。

心の官は則ち思う。思えば則ち之を得、思わざれば則ち得ざるなり

此れ天の我に与(あた)うる所の者なり。
先ず其の大なる者を立つれば、其の小なる者奪うこと能(あた)わざるなり。

此れ大人たるのみ。


注釈

  • 鈞是人也:「同じように人である」という意味。全人類は本質的に平等であるという前提。
  • 大体・小体:人の中にある二つの側面。前者は「理性・良知」、後者は「感覚・欲望」。
  • :感覚器官。耳・目・口・腹など。
  • 心の官:思考する主体。内省と判断の源。
  • 先立乎其大者:「まず大きなものを立てよ」=心の主導を打ち立てること。

パーマリンク候補(英語スラッグ)

establish-your-heart-first
「心をまず打ち立てよ」という章の核心をそのまま英語で表現。

その他の候補:

  • mind-over-senses(感覚に勝る心)
  • greatness-through-thought(思考によって偉大になれ)
  • follow-the-heart-not-the-appetite(欲より心に従え)

この章は、孟子の人間観・教育観・修養論のすべてに通じる要諦が凝縮された名言です。
「なぜ同じ人間なのにこんなにも違うのか?」という根本的な問いに対して、孟子は外的な環境や運命ではなく、
「内にある心を立てるかどうか」によって、人は自ら“大人物”にも“小人物”にもなると明言します。

この思想は、現代の教育・リーダー論・自己啓発にも深い示唆を与え続けています。

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