多くの企業経営者が抱える問題の大半は「内部管理」に関するものであり、これが事業経営の中心であると誤解していることが見受けられる。
特に本当の経営学を理解していない経営者は、最初は内部管理の悩みに支配されてしまう。これは、社長が事業経営を理解していないという証拠である。
真の事業経営は、顧客の要求を満たし、変化する市場に応じて柔軟に企業を適応させる「市場活動」にある。
巷ではさまざまな内部管理に関する書籍やセミナーがあり、それを知識として入れてしまったがために、社長は内部管理が経営学と思い込み、いままで勉強したことが内部管理のことばかりになってしまい、事業経営に関する勉強は全くといっていい程していないし、受けていないことによるものだ。
内部管理と事業経営の混同
事業経営が「内部管理」へ偏りすぎる背景には、誤った管理手法や人間関係理論の普及がある。
特に、目標管理や原価計算、組織論といった手法が「経営学」の一部とされ、経営の中心と誤解されているケースが多い。
これにより、企業は市場ではなく、内部の効率にのみ焦点を当てる傾向に陥ってしまう。
目標管理:企業の実態に関係なく、理論上の管理方法を拡大解釈したもの。実際には、現場と経営のズレを生み、経営の本質から離れてしまうことが少なくない。
原価計算の弊害:費用の削減や効率化に重きを置くあまり、顧客に対する価値提供の視点を見失うリスクをはらんでいる。企業経営において重要なのは収益の最大化であり、原価低減が必ずしもそれに寄与するわけではない。
組織論:
目標管理
ある会合で、数人のコンサルタントといっしょになったことがある。控室での雑談の中で、電々公社の経営相談室だか指導室だか忘れたが、日本でも超一流といわれたコンサルタントがいて、この人は熱心な目標管理の指導者であった。
その人が盛んに目標管理の素晴らしさを話していた。
いわく、
- 「目標は公正で納得のいくものでなければならない」
- 「目標はノルマではない」
- 「上から押しつけるのではなく、各人の自発的意志にもとづいている」
- 「上下のコミュニケーションによる良好な人間関係醸成の過程から目標が設定される」
- 「目標は各人の能力に応じたものでなければならない」
式のものである。
私は、その人の話の切れ目に「電々公社はつぶれないからなあ」と半分は一人言のような発言をした。その人は顔色をかえて黙ってしまった。その後この人は目標管理の話は一切しなくなってしまった。自らの誤りに気がついたのは立派である。
- 「社長の設定した目標と自主的に設定した社員の目標が食違うが、どうしたらよいか」
- 「目標を達成したが赤字になってしまった」
- 「ミスを許せというが、小さなミスでも許されないのだ」(ある建設会社社員)
というような質問が、当時、私のところへ殺到したのである。私は「目標管理は会社をつぶします」と答えることにしていた。
目標管理というのは、シューレの「結果の割りつけによる管理」という著書を、勝手に美化し、拡大して、もっともらしく見せかけたものにしかすぎない。
シューレは、その著書の中で「職長は……」という言葉を使っていて、「管理職は……」「経営者は……」という言葉は一切使っていない。それどころか、その本の中には「私は管理職のことについては全く興味をもっていない」ということを明言しているのだ。つまり、職長のためのものである。
それを勝手にひねくりまわして、とんでもないものに仕立あげ広めて、多くの企業に害毒を流したものである。この手の類は今でも後をたたない。こういうものに迷わされてはならないのである。
内部管理や人間関係のことならニセモノ
その真偽の見分け方は「それが内部管理や人間関係のこと」ならば、それがどんな美しい衣をまとって来ても、全部ニセモノと思えばよい。事業経営は市場活動なのだ。
内部管理が経営学と思い違いを起してしまったのは、もとをたぐってゆくと、テーラーの時間研究。作業研究による。これは、当時の賃金制度の非科学性を、科学的な出来高払制賃金にかえるべきだというテーラーの思想にもとづくもので、公平な賃金をきめるために時間や作業の研究が必要だったからである。
これが、人類始まって以来最初に、「仕事に科学を導入した」もので、テーラーは後に、「科学的管理法」という著作を発表している。
これが急速に企業内に導入され、一方では様々な科学的な手法が開発されてきた。
エルトン・メーヨー博士は、シカゴの郊外にあるウエスタン・エレクトリックのホーソンエ場において、リレーの組立工場の六人の女子作業員について、三年間の継続調査を行なった。テーマは「人間関係」である。
これは「経営における人間関係」という著作となって発表され、人間関係ブームがまき起り、カウンセラー、システム、モラル、サーベイと続き、X理論とY理論その他様々な人間関係論が生れた。
これらの人間関係論は、アメリカにおいては、あくまでも「ブルー・カラーのみに限定」されていたが、日本では経営のきめ手のような過剰反応をまき起し、人間関係至上主義がはびこって、その影響が今もって尾を引き、企業に対して逆に悪影響を及ぼすことが決して少なくないのである。目標管理など、その代表的なものの一つである。
原価計算の弊害
次は原価計算の害毒である。企業経営の実態を知らない学者が、自らの持っている観念論によって作りあげた空理空論の固まりであって、企業経営にとって最も重要なものは収益(付加価値つまり粗利益)であることに思い及ばずに、費用に焦点を合わせてしまったという根本的な誤りをおかしてしまっている。
その費用についても、企業経営全体に関するものは全くなく、すべて「原単位」に焦点を合わせただけでなく、外部から仕入れた価値と内部で発生する費用の特性さえも分らずに、クソもミソも一緒にして考えてしまっている。
そして、「すべての費用は製品に配賦されて補償されなければならない」という大錯誤をおかしてしまい、企業経営全体に計り知れない害と、大混乱を巻き起してしまっているのである。
しかも、その害毒には企業人といえども、ごくごく少数の人がその大錯誤を知るだけで、殆んどの人々は全くこれに気がつかないのである。それは、企業の知らない間に、企業を倒産に追いこんでいるのである(筆者がかつて勤めていた会社の倒産がその実例)。
それにもかかわらず、会計学者も企業もこれに気がつかないという恐ろしいものである。とはいえ、法律できめられた企業会計原則がその原価方式をとっているという厄介極まるものなのである。
これに対する道は、外部報告(税務署、銀行、株主)には企業会計原則を使い、事業経営には正しい計算方式をとり、これを使って未来指向のための実践的な数字を使わなければならないということになる。
これは、直接原価計算(ダイレクト・コスティング)の方式を使って、収益計算を行ない、これを事業経営の要請に従って組上げてゆくものである。(これについては『増収増益戦略』で述べる)
しかし、この方式は一般化していない。「全部原価」の天下である。全部原価計算方式のもう一つの罪悪は「原価は安いほうがよい」という考え方を広く深く植えつけてしまい、これが正しい事業経営に無視できない障害となっているのである。
組織論
次は組織論である。組織論は、経営学の中核的な存在になっている。
ところが、企業の経営に奉仕する筈の組織は、実はその反対に重大な障害となっている。組織というものは、いったん出来上ると、奉仕すべき対象よりも、組織それ自体の存続のほうが常に優先するという危険をはらんでいるからである。(臨調に対する官僚の大反対がこれ)
企業組織は、産業革命によって企業の誕生と同時に生れた。しかし、それをどう管理していいか分らなかった。
そこで、人類が昔から持っている組織―役所、軍隊、宗教団体、学校の組織理論をお手本として作られた。これが大きな誤りだったのである。
これらの組織には、「市場」がない。だから、管理といえば内部だけを対象としている。そして、組織存続という至上命令を実現するには、「変化」を阻止しなければならない。変化は組織のピンチや指導者の失脚をもたらす危険があるからだ。「変化を阻止する」という特性こそ、これらの組織の特性なのである。
企業組織は、このような特性を持った組織をお手本として作られてしまったのである。ところが、企業には「市場」がある。いや市場の要求を満たすために企業が生れたのである。
市場というものは絶えず変化する。当然のこととして企業はその変化に合わせて自らを変えていかなければならない。市場の変化に対応できなければ企業はつぶれてしまう。
当然のこととして、企業組織は変化に対応するという特性を持たなければならない。
さあ、大変。変化に対応しなければ生きられない企業に、変化を阻止するという特性を持った組織理論を導入してしまったのである。
企業組織がうまく機能しない根本原因がここにあるのだ。ムリに機能させようとすると、企業の要請から外れてしまうのである。
では、どうしたらいいかということになる。何がどうなっていようと、企業をつぶすわけにはいかない。といって組織を無視するわけにはいかない。
この問題の解決は、まず正しい組織理論を持つことから始める。その理論は、従来の伝統的な組織理論を百八十度ひっくりかえせばよい。
いわく「責任の範囲は明確にしてはならない」「仕事の分担は、その境目を明確にしてはならない」というようにするのだ。これは、かつての松下電器の指導方針である。今はどうなっているか知らない。
複数の部門に関係するプロジェクトは、横断的なプロジェクトチームを組織する。仕事の繁閑に応じて、お互いに応援し合う。というように、いくらでもある。
要は方針の問題であり、指導であり、そして知恵の分野である。事業の目標に焦点を合わせた(実はこれが極めて難しい)柔軟な頭脳の問題である。
頭の回い観念論者は、日本とは全く違う事情にもとづくアメリカの組織管理論をふり廻したがるが、借り物はやめたほうがよい。
筆者は「変化に対応する組織論」を(『内部体勢の確立』でのべている)持っているのである。
コンピューター管理の過信と適切な活用
コンピューターは情報管理や計算において強力なツールですが、戦略的な意思決定を支えるものではありません。
断面データや量的情報のみの取得に終始し、質的な判断や時系列的な情報の活用には限界があるためです。
経営に必要なのは、顧客の変化や市場動向を把握するための柔軟な情報の運用です。
顧客優先の事業運営と内部管理の簡素化
企業活動は、顧客の要求に応えるためのものです。円滑な業務運営に過剰に重きを置くと、顧客のニーズに応じた柔軟な対応ができなくなります。企業は、混乱が生じても顧客の要求を満たすことを最優先にすべきです。
- 柔軟で顧客重視の姿勢:お客様のニーズに応じたサービスや製品を提供することが、企業存続の基盤であり、社内の都合を優先することは、最終的に企業を衰退させる要因となります。
内部管理は、高度化すればする程費用が急激に増大する。その割りに効果は少ないことを知らなければならない。むしろ簡素化すべきである。
会社の中の活動は、円滑にゆくことがよいことではなくて、真に事業経営に役立つような活動を行なうことである。
事業経営に役立つということは、お客様の要望を、よりよく満たすものでなければならず、それは円滑化よりも、むしろ混乱をより多く伴うものなのである。
お客様はたくさんいらっしゃる。その多くのお客様が、それぞれ自分の都合だけで、ああせよ、こうせよ、という要求をしてくる。
こちらは一社である。それらの会社の要求を満たすためには我社の事情など全く考えられないのだ。ムリとムダとムラが発生する。混乱が生れる。お客様の要求を満たすために混乱することこそ正しい。ムリ・ムダ・ムラを防ぐというようなマネジメントの教えなど一切通用しないのである。
このことを知らずに、我社の都合だけを考えていたら、お客様はすべて我社を見捨ててしまう。そして倒産。企業はお客様があるから生れたのである。お客様の要求を満たすことこそ企業本来のつとめなのである。
会社の中の仕事の円滑化など考えていたら、会社はつぶれてしまうことを心に銘記して、お客様の都合だけを考えて行動するのが企業本来の姿なのである。
教訓:事業経営は市場活動である
内部管理や効率化を過信するのではなく、企業は常に市場活動を中心に据えた柔軟な運営を目指すべきです。顧客のニーズと市場の変化に適応することが、企業の本来の使命であり、そのためには混乱やムダが発生することも厭わない姿勢が求められます。
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