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はげみを楽しむ者、己を救う


■ 引用原文(日本語訳)

修行僧は、つとめはげむのを楽しみ、
放逸のうちに恐ろしさを見る。
自己を難処から救い出す。泥沼に落ちこんだ象のように。

――『ダンマパダ』第四章「はげみ」第27節


■ 逐語訳(一文ずつ現代語訳)

  1. 修行僧(比丘)は、努力することを喜びとする。
     精進を生活の喜び・本分として自ら進んで実践する。
  2. 怠惰や気の緩み(放逸)には、恐れと破滅を見る。
     堕落の危険性を自覚しているので、そこから距離を取る。
  3. そして、自己を困難な状況から抜け出させる。
     努力を通して、自分自身の心や境遇を立て直す。
  4. まるで泥沼に落ちた象が、苦労してそこから這い上がるように。
     たとえ困難に陥っても、自己の力で立ち上がる姿が象徴されている。

■ 用語解説

用語解説
修行僧(比丘、Bhikkhu)戒律を守り、心身を鍛えて解脱を目指す仏道実践者。
はげみ(ヴィーリヤ)精進・努力。仏教の重要な修行徳目。
放逸(プラマーダ)気の緩み、怠惰、集中力の喪失。
泥沼の象執着や煩悩にとらわれた苦境の象徴。そこから抜け出すための努力が必要であることを示すたとえ。

■ 全体の現代語訳(まとめ)

真の修行者は、努力そのものを喜びとして生きている。
怠けや気のゆるみには、破滅の兆しを感じ、恐れて避ける。
だからこそ、自らの内面の弱さや苦しみの泥沼から、
強い意志と努力で自分自身を救い出すことができる。
それはまるで、足を取られた象が泥の中から力強く這い上がるようなものだ。


■ 解釈と現代的意義

この節は、仏教における**「自己救済」の精神**を象徴的に説いています。
他人に頼るのではなく、自分自身の内面の努力(精進)によって、
堕落や困難から脱出する力を持つことの大切さを説いています。

特に現代のように、SNS・怠惰・誘惑など心を乱す要素が多い社会では、
「放逸を恐れる感覚」こそが、自分を律する鍵になります。
そして「努力を楽しむ習慣」は、持続可能な成長と幸福への道です。


■ ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
自己モチベーションの育成成果や報酬でなく、「努力そのもの」を喜べる人は長続きする。
内省による立て直し失敗や不調から脱出する鍵は、他責でなく自己の精進にある。
環境の誘惑に対する自律性怠けや甘えに自覚的になれる人は、長期的な信頼を得る。
逆境からの復元力(レジリエンス)泥沼のような状況に陥っても、コツコツと努力で抜け出す力が真の強さとなる。

■ 心得まとめ

「努力を楽しむ者は、自らを救い出す力を持つ」

困難の中でも、怠惰に沈まずに努力を喜ぶ――
それが、修行者だけでなく、すべての実践者に共通する
「生き抜く智慧」である。
放逸の恐ろしさを知り、日々の精進を楽しむ者だけが、
本当の意味で自分自身の人生を立て直せる。


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