心が空(から)で静まっていれば、雑念が取り払われ、本来の自分=本性が自然と姿を現す。
しかし、心がざわついたままで「自分を知ろう」としても、それは波立つ水面をかき分けて月の姿を探すようなものであり、見えるはずがない。
また、意識(心のはたらき)が清らかになれば、心の本体もおのずと清くなる。
けれど、意識の整理をせずに心の清らかさを求めるのは、鏡の明るさを願いながら、かえってその表面にホコリを積み重ねていくようなものだ。
このように、「本当の自分」を知るには、まずは心の静けさと澄んだ意識が不可欠である。
『老子』も「虚を致すこと極まり、静を守ること篤し」と説き、真理や本性に至る道は「空と静」にあると語っている。
原文(ふりがな付き)
「心虚(しんきょ)なれば則(すなわ)ち性(せい)現(あら)わる。
心(こころ)を息(や)めずして性(せい)を見(み)んことを求(もと)むるは、
波(なみ)を撥(はら)いて月(つき)を覔(もと)むるが如(ごと)し。
意(い)浄(きよ)ければ則(すなわ)ち心(こころ)清(きよ)し。
意(い)を了(りょう)せずして心(こころ)を明(あき)らかにせんことを求(もと)むるは、
鏡(かがみ)を索(もと)めて塵(ちり)を増(ま)すが如(ごと)し。」
注釈
- 心虚(しんきょ):心を空にすること。執着や雑念を離れた状態。
- 性(せい):本性。自分の本当の姿や天性。
- 波を撥いて月を覔む(なみをはらいてつきをもとむ):かき乱された水面をかき分けて月を見ようとするような、無理な努力。
- 意浄(いきよ)ければ心清し:心の働きを澄ませば、心の本体も澄み渡る。
- 鏡を索めて塵を増す:鏡の輝きを求めながら、むしろ曇らせるような矛盾した行動。
パーマリンク候補(英語スラッグ)
emptiness-reveals-essence
(空こそ本質を映す)still-mind-true-self
(静かな心に本当の自分が現れる)don’t-stir-the-waters
(水をかき乱すな、月は自然に映る)
この条は、現代の情報過多・雑念に満ちた日常において、「何かを得る」前に「余計なものを手放す」ことの重要性を静かに教えてくれます。
心を整えるとは、磨くのではなく、澄ませること――本来の自己は、その向こうに初めて現れるのです。
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