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愛執を断つ努力が、死すら超える力となる


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📖 引用原文

夜も昼もつとめはげみ、つねに愛しきものを捨て去る人々は、罪悪の根を掘ってなくしてしまう。
それは死王の財であり、なかなか超克し難いものであるが。

——『ダンマパダ(法句経)』第5章 第十一句


🧩 逐語訳

  • 夜も昼もつとめはげみ、
     日夜を問わず、不断の努力と修行に励む人は、
  • つねに愛しきものを捨て去る人々は、
     心惹かれるもの、執着の対象を手放していく者は、
  • 罪悪の根を掘ってなくしてしまう、
     煩悩や執着の根源を断ち、根本から浄化することができる。
  • それは死王の財であり、なかなか超克し難いものであるが。
     執着という煩悩は「死王(閻魔)」が人を支配する手段であり、克服は困難であるが、それでも努力によって打ち克つことが可能である。

🔍 用語解説

用語解説
つとめはげみ精進・勤行・日々の修行や努力。仏道の実践。
愛しきもの快楽・愛情・地位・人間関係・財産など、執着を生む対象。
罪悪の根貪(とん:むさぼり)・瞋(しん:怒り)・癡(ち:無知)など、三毒と呼ばれる煩悩の根本。
死王の財「死(無常)」が人を支配するための因(=執着)。死王(閻魔)が持つ武器とも言える。
超克し難い克服するのが非常に困難であること。しかし不可能ではない。

🗣 全体の現代語訳(まとめ)

昼も夜も精進し、
絶えず心惹かれる対象を手放し続ける者は、
煩悩の根を掘り起こして、完全に断ち切ることができる。
それは、人を死と苦に縛る「死王の支配」の根本であり、
容易には克服できないものではあるが、
不断の努力によって超えることは可能であると説いている。


🧠 解釈と現代的意義

この句は、「執着(愛しきもの)を断つ努力」が、
いかに困難でありながら、根本的な解放への道であるかを強調しています。
日常生活においては、「努力=目的を達成するための手段」と捉えられがちですが、
ここでは**「努力=心の束縛を解くための内的行」**として語られています。

また、執着が「死王の財」であるというたとえは、
執着こそが私たちを死と苦しみの支配下に置いている原因であることを明示し、
それを克服することが真の自由と悟りへの道であると教えています。


💼 ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
継続的努力成果や承認への執着を捨て、「なすべきことをなす」日々の継続が、信頼と成長をもたらす。
執着からの脱却地位や役割にしがみつくことが、変化や後進育成を妨げる。執着を手放すことが次の展開を生む。
リーダーの成熟組織の利益や部下への愛情さえも、時には手放す覚悟が必要な時がある。その判断が長期的価値を生む。
メンタルの強化執着の対象を減らすことは、心のストレスを減らし、安定した判断力を維持する鍵となる。

🧭 心得まとめ

「執着を断ち、精進を重ねる者だけが、死すら超える」

快楽に浸ることも、成功に酔うことも、人とのつながりに安心を求めることも、
すべて「愛しきもの」――つまり心を縛る種子になりうる。
それらを日々静かに手放し、
夜も昼も、愚直に心を磨く努力を続ける者だけが、
やがて死の恐れすら超え、自由と智慧を得る。
それは簡単ではない。だが、やり続けた者には確実に届く境地なのです。

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