大志ある者にこそ、導きと実践が必要だ
孔子は理想の政治を求めて各国を巡っていたが、あるとき陳(ちん)に滞在していた際、こうつぶやいた。
「帰ろう。帰ろう。わが故郷・魯には、多くの若者が私を待っている。
彼らは志は高く、気性もすぐれている。模様の美しい布のように才能はあるが、
それをうまく裁断して衣服に仕立てる方法をまだ知らない。
私は彼らにそれを教え、立派な人間に育てていこう」
ここにあるのは、若者の資質を信じ、それを磨くために尽力しようとする教育者の原点的な思いである。
孔子は、「高い志を持つこと」と「社会で役立つ力として実践すること」の間に隔たりがあることを認めた上で、
教え、導き、磨くことで“未完成の才能”を“完成された人格”へと昇華させようと決意していた。
原文とふりがな付き引用
子(し)、陳(ちん)に在(あ)りて曰(いわ)く、
帰(かえ)らんか、帰らんか。吾(わ)が党(とう)の小子(しょうし)、狂簡(きょうかん)にして、斐然(ひぜん)として章(しょう)を成(な)すも、之(これ)を裁(さい)する所以(ゆえん)を知らざるなり。
志があるだけでは足りない。
それを活かす知恵と導きがあってこそ、人は本当に社会に貢献できる。
注釈
- 陳(ちん)…孔子が政治的理想を求めて流浪していた際に立ち寄った国の一つ。
- 吾が党の小子…私の故郷・魯にいる若者たち。
- 狂簡(きょうかん)…「狂」は進取の気性が強く、「簡」は素朴で未熟なこと。志は高いが、まだ実用には達していない状態。
- 斐然として章を成す…あざやかに模様が織られている状態。つまり、才能・可能性のある若者たちの比喩。
- 裁する所以を知らず…どう行動し、どう生かせばいいかをまだ知らないという意味。
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