聖人の務めは、理想ではなく、民を救うことにある
孟子は、許行の「賢者は民と共に耕すべし」という教えに対し、伝説の聖王・堯・舜・禹の実例を挙げて反論する。
堯の時代、天下はまだ混乱し、洪水が横行していた。
- 草木は伸び放題
- 禽獣が人の生活を脅かす
- 穀物も実らず
- 禽獣の足跡が文化の中心地にまで入り込む
この大災害を前に、堯は一人心を痛め、舜を抜擢して治世を託した。
舜は、益に命じて山野を焼き払い、禽獣を遠ざける。
そして、禹を用いて治水を任せ、黄河や揚子江に至るまで、あらゆる河川を開削・誘導して洪水を鎮めた。
このようにして初めて、中原の地は穀物が育ち、人々は食を得ることができた。
ここで孟子が言いたいのは明確だ:
「禹は八年間も外で働き、三度家の前を通っても一度も立ち寄らなかった」
「彼は耕したくても、できなかった。それは、民を生かすために奔走していたからだ」
本章の主題
孟子がこの章で強調したのは、聖人とは単に清貧に耕す者ではなく、必要なときに身を捨てて民のために行動する者だということ。
- 政治を担う者には、日々田畑を耕す暇すらない現実がある
- それでも民の飢えを救い、秩序を築くために働くことこそ「仁政」
つまり、「自ら耕すこと」だけが正義ではなく、民全体の耕作を可能にする環境を築くことが賢者の役割だと孟子は説いている。
引用(ふりがな付き)
是(こ)の時(とき)に当(あ)たりてや、禹(う)、外(そと)に八年(はちねん)、三(み)たび其(そ)の門(もん)を過(す)ぎて而(しか)も入(い)らず。耕(たがや)さんと欲(ほっ)すと雖(いえど)も得(え)んや。
簡単な注釈
- 堯・舜・禹(ぎょう・しゅん・う):古代中国の理想の聖王。すべての統治を民の安寧のために行ったとされる伝説的存在。
- 益(えき):舜の臣。火を掌って山野を焼き、獣の害を除いた。
- 瀹(よう)する/疏(そ)する/排(はい)する:いずれも治水のために水の流れを良くする技術的行為を意味する。
- 三たび門を過ぎて入らず:家庭を顧みる暇もなく、民のために尽くした象徴的な逸話。
パーマリンク候補(スラッグ)
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この章は、孟子が「仁政は清貧主義ではない」「実務と現実への対応こそが聖人の本分である」と主張する現実主義的倫理観の頂点です。
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