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全国制覇の夢と現実:H社の苦境

H社は洋品雑貨を取り扱う百貨店向けの問屋で、約300人の従業員のうち200人が百貨店に派遣されている。しかし、現在同社は2億円近い赤字を抱え、資金不足も同額に上る深刻な状況だ。私が訪問した際、期末を目前に控えた社内には、立派な社長室と広々とした事務室があり、経営難に陥った企業によく見られる典型的な光景が広がっていた。倉庫には売れ残った在庫が山積みされ、低迷する売上を如実に物語っていた。

収益性を精査すると、商品の利益率は低迷し、派遣された店員の業務効率も極めて低いことが分かった。200人の派遣店員のうち、半数の100人は人件費すら捻出できず、残る100人のうちの半分は人件費をかろうじて賄える状況。固定費までカバーできるのは、わずか50人に過ぎなかった。


苦境への提言:必要な「切り捨て」

私はH社の経営改善に向けて以下の提言を行った。

  1. 不採算店舗からの撤退
     人件費すら捻出できない店舗については、直ちに派遣店員を引き上げること。取引先が「派遣店員を出さなければ取引できない」と要求する場合でも、思い切って取引を諦めるべきだ。引き上げた派遣店員はパート契約であることを踏まえ、速やかに整理を進める。
  2. 固定費を賄えない店舗の再評価
     固定費を賄えない店舗については、H社長が自ら現場を訪れ、実態を把握した上で販売促進策を立案し、人員配分を見直す必要がある。赤字店舗でなければ、必ずしも閉鎖する必要はないが、抜本的な見直しが求められる。
  3. 収益拡大のための新規市場開拓
     社長自身が率先して新規専門店の開拓に取り組み、収益の柱を増やす努力が必要だ。

特に、事業が赤字に陥っている場合、最優先で取り組むべき施策は「切り捨て」である。これまでの経験からも、不採算部門を切り捨てることが、企業再生の第一歩となることは明らかだ。しかし、この「切り捨て」という決断がH社長には受け入れがたいものであった。


社長の夢と時代の変化

H社長が私の提言を拒む理由は明確だった。彼の夢は「全国のデパートを制覇する」ことにあった。創業当初から掲げたこの夢は、40年間もの間、社長の指針であり、努力の原動力でもあった。私もその夢を否定したいわけではなかったが、現実は厳しく、40年前とは市場環境が一変していることを伝えざるを得なかった。

戦前の百貨店業界は「大型店主義」が主流であり、H社長の戦略はその時代には適していたかもしれない。しかし、戦後の百貨店業界は「多店舗主義」に転換し、中型店舗が全国各地に広がることで市場の構造が大きく変化した。この変化を見据えた新たな戦略が求められる中で、H社長はかつての成功体験に縛られ、時代の変化に対応できていなかった。


全国制覇を追い求めた代償

H社長は新たに開設されたデパートの支店を見つけるたびに、「ぜひうちの商品を取り扱ってほしい」と熱心に売り込みを続けた。その結果、新店舗への派遣店員や陳列ケースの負担が次々と増大し、収益性を圧迫する要因となってしまった。こうした無計画な拡大路線が、現在のような赤字を招いたのだ。

さらに、赤字の原因を社員の働き不足に求めるなど、問題の本質を見誤っていた。市場環境が変わる中で、自らの戦略を修正することができなかったH社長の姿勢が、会社を苦境に追いやった最大の要因だった。


経営者としての使命

事業を営む以上、「大きくなりたい」と願うのは自然なことだ。しかし、規模を追い求めるだけではなく、持続可能な成長を目指すべきである。市場原理に基づく戦略を立て、地域ごとの占有率を高めることで、企業の競争力と収益性を向上させる必要がある。

H社長がすべきだったのは、過去の夢を大切にしつつも、それを時代に合った形に変換することだった。「全国のデパートを制覇する」という夢を、「全国で最も信頼される業者になる」という新たなビジョンに変え、新市場や新事業に挑戦することで、夢を次世代に引き継ぐ努力が求められた。


終焉と教訓

最終的に、H社長の方針転換は叶わず、H社は経営を維持できなくなり、大手商社の資本傘下に入ることで独立性を失った。創業以来40年にわたる努力は、時代の変化に対応できなかった代償として、終焉を迎えた。

事業家として本当に重要なのは、理想に固執することではなく、変化を受け入れ、事業を進化させる柔軟性だ。時代に合わせて軌道修正を図ることで初めて、企業は生き残り、さらなる発展を遂げることができる。H社の事例は、その重要性を改めて示している。


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