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感情に溺れず、誠をもって己を律せよ

人の過ちの多くは、智の不足に因るのではない。
むしろ、喜怒哀楽の節度を誤ることにある。
とりわけ若き者は、情が盛んであるがゆえに、
その制御を誤れば、たやすく道を踏み外す。

喜びすぎては浮かれ、怒りすぎては敵をつくり、
哀しみに沈みすぎれば力を失い、楽しみに耽りすぎれば身を損なう。

孔子は「関雎は楽しんで淫せず、哀しんで傷らず」と言った。
これは、情を持つなというのではない。
情に溺れるなという教えである。

酒を飲み、遊びを楽しむこともあってよい。
だが、節度を越えれば、それは誠を損なう

人が人として道を誤らぬためには、
己の情を制し、己の行いを律する心が要る
それが、誠意誠心である。

誠とは、ただ嘘をつかぬことではない。
己の情に対しても、正直であること。
その上で、それに振り回されず、
静かに誠をもって己を統べることである。

誠があれば、驕らず、乱れず、逸せず、迷わない。
それが、いかなる境遇にあっても、
人としての分を守り、信を得る道である。

次に青年の最も注意すべきことは、喜怒哀楽である。特に青年のみならず、およそ人間が処世の道を誤るのは、主として七情の発作宜しきを得ざるがためで、孔子も「関雎は楽んで淫せず、哀んで傷らず」といって、深く喜怒哀楽の調節の必要なることを述べておられる。私どもも酒を飲めば遊びもしたが、淫せず傷らずということを常に限度としていた。これを要するに、私の主義は誠意誠心、何事も誠をもって律すると言うより外、何物もないのである。

論語と算盤

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