■引用原文(書き下し文付き)
原文:
所謂誠其意者、毋自欺也。
如悪悪臭、如好好色、此之謂自謙。故君子必慎其独也。
小人居為不善、無所不至。見君子而后厭然揜其不善而著其善。
人之視己、如見其肺肝然、則何益矣。故君子必慎其独也。
曾子曰、「十目所視、十手所指、其厳乎」。
富潤屋、徳潤身、心広体胖。此謂誠於中、形於外。故君子必誠其意。
書き下し文:
いわゆる「その意を誠にす」とは、自らを欺かぬことである。
悪臭を悪むように、好色を好むようにする、これを自ら慊(うれ)うという。
それゆえ、君子は必ずその独(ひとり)を慎むのである。
小人は独りでいると悪事をなし、何事にも至る。
君子に出会って初めて、厭然として不善を隠し、善を飾る。
だが、人の目は肺や肝を見るように鋭い。では何の益があろうか。
それゆえ、君子は必ずその独を慎む。
曾子曰く、「十の目が見、十の手が指す。なんと厳しいことか」と。
富は屋を潤し、徳は身を潤す。心が広ければ体もおおらかである。
これを「中に誠あれば、外に形わる」という。
それゆえ、君子は必ずその意を誠にするのである。
(『礼記』大学 第二章 第一節)
■逐語訳(一文ずつ)
- 「意を誠にする」とは、自分自身をごまかさないことである。
- 悪臭を本能的に嫌うように、善悪を無理なく判断できる心の状態を指す。
- このような状態が「自ら慊(うれ)う」、つまり満ち足りた心である。
- 君子は、人に見られていない時ほど、内なる自己を慎重に保つ。
- 小人は、人目がなければ悪事を行い、見られてから取り繕う。
- だが人々の目は本質まで見抜いてしまう。取り繕っても意味はない。
- 曾子は「世間は常に見ており、指さすのだ」と警告する。
- 富が家を潤すように、徳は身体や雰囲気を潤す。
- 心が広く清らかであれば、身体にもおおらかさが表れる。
- これを「内に誠あれば外に形わる」と言う。
- 君子は、外面でなく、まず内面を誠実に保つよう努める。
■用語解説
- 誠意:自分の意念に偽りがなく、真実であること。ここでは「内的誠実さ」。
- 自欺:自分をだますこと。自分の善悪の判断をごまかすこと。
- 慎独:人が見ていない時にも、自分を正しく保つ態度。自己の内面との対話。
- 自慊(じけん):「慊」は満足の意味で、自分自身で自分の誠実さに納得している状態。
- 誠於中・形於外:誠実な内面は自然と外面に表れるという道理。
- 十目・十手:多くの人の目と指、社会の目。世間は常に見ているという教訓。
■全体の現代語訳(まとめ)
「意を誠にする」とは、自分の心に嘘をつかないことである。悪を本能的に嫌い、善を自然に好む心を持つことは、自分にとっても心地よく満ち足りた状態を意味する。
だからこそ、君子は他人の目がないところでも自分の行いに慎重である。一方、小人は見られていないところでは悪事を働き、他人の前でだけ善人を装うが、人の目は鋭く、そうした表面だけの態度は見抜かれてしまう。
内なる誠実さが外ににじみ出るものであり、真の徳はその人の姿や雰囲気にまで影響する。ゆえに、君子は意念を誠実に保つ努力を惜しまない。
■解釈と現代的意義
この章は、内面の誠実さ(誠意)が人格形成と行動の根本であることを強調しています。
SNSや監視社会においては「見せるための自分」を演じがちですが、本当の信頼や威厳は「誰も見ていないときの姿」からにじみ出るものです。
個人としての信用、リーダーとしての信頼、どれも「慎独」、すなわち一人のときの誠実さから始まります。形式や成果ではなく、根底にある「意の誠」を問うているのです。
■ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 適用例 |
---|---|
セルフマネジメント | 誰も見ていない場面でも、規律ある行動を取れるかどうかが、真のプロフェッショナリズム。 |
リーダーの品格 | 「慎独」はリーダーの人格を問う基準。信頼される人は、目の届かぬ場でも誠実を貫いている。 |
評価と信頼 | 一時的な印象や装いは見抜かれる。継続的な誠実さが、やがて外見や発言の信憑性を形作る。 |
社内文化づくり | 表向きのルールだけでなく、「内なる律し」を促す文化こそが、不正防止や倫理経営の要。 |
■心得まとめ(ビジネス指針)
「一人の時こそ、本当の自分が問われる」
誠実とは、誰も見ていない時にこそ発揮される品格である。真の信頼は、その「慎独」から始まる。
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