孟子は、王に問いかける。
「王よ、戦争を起こして家臣の命を危険にさらし、諸侯から憎まれ、
その末に得るものに、果たして心が満たされているのですか?」
王は正直に答える。
「いや、快くなどない。
だが、私は“自分の大きな欲望”を果たしたいから、やむを得ず戦をするのだ」
欲望の正体は何か? 孟子の探りと追及
孟子はあえて問いかける。
「その“大欲”とは何ですか? お聞かせいただけますか?」
王は、笑って黙る。
そこで孟子は、王の“物欲”をひとつずつ列挙し、揺さぶるように問いかける:
- 肥えた食事が足りないのですか?
- 軽くて温かい服が不足しているのですか?
- 美しい女性、舞楽、音楽に飽き足りないのですか?
- 側近の仕えが足りないとお感じですか?
そしてたたみかける。
「これらは、家臣がすべてお望みのままに整えることができる。
まさか、それらのために王は戦をしているのですか?」
王はそれを否定し、ようやく孟子に心を明かす。
本心を見抜く:覇者への野望
王の“欲”とは――
「領地を広げ、秦や楚の強国を従わせ、天下の中心に立ち、
四方の蛮族までをも従わせたい――覇者としての支配欲」である。
孟子はそれを肯定も否定もせず、ただ一言で喝破する。
「しかし王よ。今の王のやり方では、それを得ようとするのは――
木に登って魚を捕ろうとするようなものです」
つまり、手段が目的にまったく適していないという批判である。
補足:目的に対して、手段を正しく選べているか?
孟子が伝えたかったのは、戦争という暴力的手段では、真の覇者にも王者にもなれないという警告です。
宣王の欲するもの――威厳、支配、天下の安定――は、仁政をもって初めて得られるものであって、武力によってでは決して得られない。
このたとえ(木に登って魚を求む)は、現代の政治・ビジネス・人間関係などあらゆる場面でも応用可能です。
- 成果を出したいのに、間違った方法で努力していないか?
- 理想を語りながら、それを壊す手段を選んでいないか?
目的と手段が正しく噛み合っているかを問い直す、孟子からの本質的な問いかけです。
原文
抑王興甲兵,危士臣,構怨於諸侯,然後快於心與?
王曰:「否。吾何快於是?將以求吾大欲也。」
曰:「王之大欲,可得聞與?」
王笑而不言。
曰:「爲肥甘不足於口與?輕煖不足於體與?
抑爲采色不足視於目與?聲音不足聽於耳與?便嬖不足使令於前與?
王之諸臣,皆足以供之,而王豈爲是哉?」
王曰:「否,吾不爲是也。」
曰:「然則王之大欲,可知已:
欲辟土地,朝秦楚,莅中國,而撫四夷也。
若所爲然者,猶緣木而求魚也。」
書き下し文
抑も王、甲兵を興し、士臣を危くし、怨みを諸侯に構えて、然る後、心に快しとするか。
王曰く、「否。吾、何ぞ是に快からんや。将に以て吾が大欲を求めんとすればなり。」
曰く、「王のその大欲、聞き得べきか。」
王、笑いて言わず。
曰く、「肥甘、口に足らざるか。軽煖、体に足らざるか。
采色、目に視るに足らざるか。声、耳に聴くに足らざるか。
便嬖、前に使令するに足らざるか。
王の諸臣、皆これを供するに足る。而るに、王、豈に是の為か。」
王曰く、「否。吾、是の為に非ざるなり。」
曰く、「然らば王の大欲、知るべきのみ。
土地を辟(ひら)き、秦・楚を朝し、中国に莅(のぞ)み、四夷を撫(ぶ)せんと欲するなり。
若き為す所を以て、若き欲する所を求むるは、猶お木に縁りて魚を求むるがごとし。」
現代語訳(逐語・一文ずつ訳)
- 「王は軍を起こし、家臣を危険に晒し、諸侯との間に恨みを作る。
それが心を快くするためなのでしょうか?」 - 王は言う:「いや、そんなことに快感を覚えるわけではない。
本当に欲しいものを得たいと思っているのだ。」 - 「ではその“大きな望み”とは何か、お聞きしてもよいですか?」
- 王は笑って答えず。
- 「豪華な食事が足りないのですか?
軽やかな衣が足りないのですか?
美しい女性、音楽、側仕えが足りないのですか?」 - 「それらはすべて、すでに家臣たちが王に用意しているではありませんか。
それが目的ではないのですね?」 - 王は言う:「そうだ。私はそれが目的ではない。」
- 「それならば、王の真の望みは明らかです。
領土を広げ、秦や楚を臣従させ、中央を統治し、
周辺民族を懐柔して天下を治めたいのでしょう。」 - 「しかし、そのような高い望みを、
現在のような方法で叶えようとするのは、
木の上で魚を探すようなもの──
方法を間違えれば、目的は絶対に果たせません。」
用語解説
- 甲兵(こうへい):武器を携えた軍勢。軍事行動のこと。
- 肥甘(ひかん):脂の乗った肉や美酒、美食のこと。
- 軽煖(けいだん):軽くて温かい衣、すなわち快適な生活環境。
- 采色(さいしょく):美しい女性・美しいもの。
- 便嬖(べんぺい):寵臣や寵愛を受ける側近のこと。
- 朝(ちょう)す:臣下として礼を尽くすこと。
- 莅中国(りちゅうごく):中原(中国の中心)を統治すること。
- 撫四夷(ぶしい):辺境の異民族を懐柔し安定させること。
- 緣木而求魚(えんぼくしてぎょをもとむ):木に登って魚を探す=方法の誤りの比喩。
全体の現代語訳(まとめ)
孟子は王に問いかける:
「軍を起こして諸侯と敵対するのは、あなたの快楽のためですか?」
王は否定し、「私はもっと大きな目標のためにやっている」と言う。
それを受け孟子は指摘する。
「領土拡大、他国の従属、四方の安定──それがあなたの“大欲”なら、
今のような武力に頼る手段では叶いません。」
「木に登って魚を探すようなものです」
──目的が正しくても、方法を間違えば絶対に達成できない。
解釈と現代的意義
この章句は、目的と手段の一致がどれほど大切かを説いたものです。
王の目的(仁政による天下統治)は崇高でありながら、
その手段(武力・戦争)は真逆の方向に向かっている。
孟子は、「本当に欲しいものがあるなら、
それにふさわしい手段をとれ」と言います。
理想の高さと行動の一致がなければ、成果は得られない。
ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)
- 「目的は正しい。だが手段が誤っていないか?」
企業理念や目標が高尚でも、
現場がプレッシャーまみれ・数字至上主義になっていれば、
“緣木求魚”=理想倒れになる。 - 「社員を疲弊させて、成果は得られるか」
無理な営業目標、過剰な競争、無意味な会議──
それで本当に顧客の信頼を得られるのか?
真の目的と合致する手段を選べ。 - 「戦略は目的に沿って最適化されるべき」
ブランディングのために“安売り”をする、
品質向上のために“人員削減”をする──
戦略が目的と矛盾していないか、常に問い直せ。
まとめ
「木に登って魚を求むな──手段と目的の一致が成果を生む」
この章句は、リーダー・経営者・意思決定者にとっての警鐘です。
「目的が正しくても、手段を誤れば全て無駄になる」
──孟子のこの言葉は、あらゆる組織と人生に通じる真理です。
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