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仇やかたきと思われる君主となってはいけない

信も義もない君主に、忠誠は生まれない

孟子は、礼をもって臣を遇する「三有礼」を説いた後、現実の君主の姿を強く批判した。
現代の為政者たちは、忠臣の進言を退け、たとえ正しい言葉を聞いても無視し、その恩恵も民に届かせない――そう孟子は嘆いた。

さらに臣が事情により国を離れる時、君主はその者を捕らえようとし、もし逃れたとしても新天地での生活を妨害し、家や田畑も即座に没収する。
これはもはや「主君の所業」ではない。「寇讎(こうしゅう)=仇敵」の行いに他ならない。

このような非道な主に対して、忠義を尽くして喪に服する者などいるはずがないと孟子は断言する。
礼なき者に、礼で応える必要はない。人の心は、正義と信頼によってこそつながる。


原文(ふりがな付き)

今(いま)や臣(しん)と為(な)りて、諫(かん)めは則(すなわ)ち行(おこな)われず、言(げん)は則(すなわ)ち聴(き)かれず。
膏沢(こうたく)は民(たみ)に下(くだ)らず。
故(ゆえ)有(あ)りて去(さ)れば、則(すなわ)ち君(きみ)之(これ)を搏執(はくしゅう)し、又(また)之(これ)を其(そ)の往(ゆ)く所(ところ)に極(きわ)め、
去(さ)るの日(ひ)遂(つい)に其(そ)の田里(でんり)を収(おさ)む。
此(こ)れを之(これ)寇讎(こうしゅう)と謂(い)う。
寇讎(こうしゅう)には何(なに)の服(ふく)か之(これ)有(あ)らん。


注釈

  • 搏執(はくしゅう):無理やり捕まえること。追放どころか拘束する非道な行為。
  • 極める(きわめる):行く先々で妨害し、困窮させるような処置をする。
  • 田里(でんり):住居や田畑。生活の基盤。これを即日没収するのは、退路を断つ仕打ち。
  • 寇讎(こうしゅう):仇、敵。信頼の対象ではなく、対抗すべき存在。

心得の要点

  • 進言が退けられ、恩恵も及ばない政治は、すでにその使命を果たしていない。
  • 信義なき主君は、もはや「仇」と見なされて当然である。
  • 忠誠や礼は、義を尽くす相手にのみ捧げられるべきものである。
  • 民と臣を敬う政治でなければ、人の心は決してついてこない。

原文:

今也為臣、諫則不行、言則不聽、膏澤不下於民、
故而去、則君搏執之、又極之於其所、
去之日遂收其田里、此之謂寇讎、寇讎何之有。


書き下し文:

今や臣と為(な)りて、諫(いさ)めは則(すなわ)ち行(おこな)われず、言(げん)は則ち聴(き)かれず。膏沢(こうたく)は民(たみ)に下(くだ)らず。
故(ゆえ)ありて去(さ)れば、則ち君(きみ)之(これ)を搏執(はくしゅう)し、又(また)之を其の往(ゆ)く所に極(きわ)め、
去るの日、遂(つい)に其の田里(でんり)を収(おさ)む。此(こ)れを之(これ)寇讎(こうしゅう)と謂(い)う。寇讎には何の服(ふく)か之(これ)有(あ)らん。


現代語訳(逐語/一文ずつ訳):

  • 「今や臣と為りて、諫めは則ち行われず、言は則ち聴かれず」
     → 今の時代に家臣として仕えても、忠告は実行されず、意見は聞き入れられない。
  • 「膏沢は民に下らず」
     → 君主の恩恵は民に行き渡っていない。
  • 「故有りて去れば、則ち君之を搏執し、又之を其の往く所に極め」
     → やむを得ぬ事情でその家臣が去ろうとすれば、君主はその者を逮捕・拘束し、さらには行き先まで制限する。
  • 「去るの日遂に其の田里を収む」
     → その去った当日には、彼の領地・財産まで取り上げてしまう。
  • 「此れを之寇讎と謂う」
     → これを「敵(寇讎)として扱う」と言うのだ。
  • 「寇讎には何の服か之有らん」
     → そんな敵に、どうして喪に服する必要があるだろうか?(いや、ない)

用語解説:

  • 搏執(はくしゅう):力ずくで捕らえること。権力による抑圧や逮捕の意。
  • 極(きわ)む:極限まで制限・拘束する。自由や行動を封じる行為。
  • 田里(でんり):領地や私財。貴族や官僚に与えられた報酬的土地。
  • 寇讎(こうしゅう):外敵・仇敵。許しがたき敵のこと。
  • 服(ふく)する:喪に服する、敬意を表して哀悼の意を示す儀礼。

全体の現代語訳(まとめ):

今の時代において家臣となっても、諫言は受け入れられず、言葉は聞かれず、恩恵も民に行き渡らない。
そうした中でやむなく辞めようとすれば、君主はその者を逮捕し、行き先までも制限し、
さらにはその日のうちに領地を没収してしまう。
このような扱いをするのは「敵」と同じではないか。
そんな敵のために、どうして喪に服する必要があろうか?(いや、あるはずがない)


解釈と現代的意義:

孟子はこの章句で、**「本来敬うべき主君であっても、その行為が非道であれば敬う必要はない」**という強いメッセージを発しています。

これは儒教における「忠」の思想に対する現実的・倫理的な制限を表しています。
つまり、「無条件の忠誠」ではなく、「敬意は相応の行為に値する者にのみ払われる」という考え方です。

現代に置き換えれば、パワハラ・理不尽な扱いをする上司や組織には、忠誠を尽くす義務はないというメッセージとして受け取ることができます。


ビジネスにおける解釈と適用:

  • 「忠誠は双方向。信頼を踏みにじる上司に、部下の忠誠はない」
     部下の進言に耳を貸さず、成果も無視し、退職しようとすれば報復を加えるような上司・組織に、人は決して忠誠を誓わない。
  • 「退職者への扱いが、その組織の本質を表す」
     辞めた人に対して非礼・報復・無視をする組織は、内部でも人を尊重していない。
     逆に、立つ鳥跡を濁させない配慮こそ、健全な組織文化を育てる。
  • 「敬意は得るもの、強制できるものではない」
     役職・地位によって人を従わせても、本当の敬意は得られない。人としての接し方・言動こそが、真の信頼関係を築く。

ビジネス用心得タイトル:

「理不尽な主に忠は尽くさず──敬意は徳に応じて返るもの」


この章句は、リーダーシップ倫理・組織内の信頼構築・退職者との関係において深い示唆を持ちます。

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