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すべてを委ね、願望なく、為すべきを為せ


目次

📜 引用原文(日本語訳)

「すべての行為を私のうちに放擲し、
自己に関することを考察して、
願望なく、『私のもの』という思いなく、
苦熱を離れて戦え。」
(『バガヴァッド・ギーター』第3章 第30節)


🔍 逐語訳

「一切の行為を私(クリシュナ/神)に捧げ、
自己(アートマン)の本性を深く考え、
欲望を捨て、所有意識を離れ、
心の苦悩から自由になって、あなたは戦え。」


🧩 用語解説

  • 行為を放擲(ほうてき)する(sannyasya):行為の結果や所有を手放し、それを神に委ねること。
  • 私のうちに(mayi):ここでは神=宇宙的意識=至高者であるクリシュナを指す。
  • 自己に関することを考察(adhyātma-cetasā):自己(アートマン)の本質について思考・瞑想すること。
  • 願望なく(nirāśīḥ):欲望から解放された状態。何かを得ようとする心を手放す。
  • 「私のもの」という思いなく(nirmamaḥ):所有意識の放棄。執着の源泉を断つ態度。
  • 苦熱(santāpa):精神的・感情的な苦悩や不安、動揺。

🗣 全体の現代語訳(まとめ)

クリシュナはアルジュナに、「あなたの行為を私に完全に委ねなさい」と語ります。
そして、自我や欲望、所有の執着を手放し、
自分自身の魂の本質を見つめ、苦しみから離れた心で「戦え」と命じます。
ここにおいて“戦う”とは、「義務を果たすこと」、
すなわち自分に与えられた役割・使命を果たすことを意味しています。
それは、神への献身をもって無私に行動することによって達成されるのです。


💡 解釈と現代的意義

この節は、行為の究極の姿――「無私の行為」を説いています。
それは「行動を捨てること」ではなく、
執着や見返り、所有の思いをすべて手放した上での行動です。
また、「行為を神に捧げる」とは、高次の目的や理想に基づいた行動を意味するとも解釈できます。
現代に生きる私たちにとっては、「何のためにそれをするのか」という倫理的・精神的基盤を持つこと
が、
この“放擲”の実践に繋がります。


🏢 ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
目的志向と倫理的行動個人の欲や評価のためではなく、顧客・社会・理念のために行動すれば、ぶれない軸ができる。
リーダーシップと委任成果への執着を手放し、「これは私ではなく組織やビジョンのため」と考えることで、健全なマネジメントが可能に。
バーンアウト防止自分だけで抱え込まず、高次の価値やチームへの信頼にゆだねることで、精神的負担が軽減される。
行動の純粋性と信頼感私利私欲からではなく、誠実な動機から行動する人は、周囲からも自然と信頼される。

🧠 心得まとめ

「私のため」ではなく、「高き意志」のために働くとき、心は自由になる

欲望も不安も所有の意識も手放して、
ただ、為すべきを誠実に、無私に行え。
その行動は、神に捧げる祈りとなり、
心の苦しみを静かに消し去っていく――それが、ギーターの教える“働く瞑想”である。

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