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親子に最も必要なのは「恩愛」であり、「正しさ」ではない

弟子の**公孫丑(こうそんちゅう)**が、孟子に問うた:

「君子が自分の子を自ら教育しないのは、なぜでしょうか?」

これに対して孟子は、「自然にそうなるものであり、そうせざるを得ない理由がある」と語る。
その理由は――**「教えることによって、親子の愛情が損なわれるから」**である。

孟子は、その構造を丁寧にこう説明する:

  • 教える者(親)は、子に正しさを教えようとする。
  • だが、子がそれを理解しなければ、親は怒り始めてしまう。
  • 怒ることで、かえって親の恩愛は薄れ、厳しさが前に出るようになる。
  • 子の側も、「親は正しさを語るが、自分は本当に正しくしているのか?」と不信感を抱く
  • 結果として、親子が互いに正しさを責め合うようになり、関係が壊れていく

孟子はこの事態を**「父子相夷(ふしあいい)」=互いに傷つけ合う**と呼び、
それが進めば「親子の情が離れ、人生最大の不幸となる」と断じる。

だからこそ古代では、**子どもを他人に預けて教育し合う「易子教育」**という慣習があった。
親子の関係は、「正しさ」を求め合うのではなく、「情」でつながるべきだというのが孟子の結論である。


目次

原文(ふりがな付き)

公孫丑(こうそんちゅう)曰(いわ)く、
「君子(くんし)の子(こ)を教(おし)えざるは、何(なん)ぞや」

孟子(もうし)曰く、
「勢(いきお)い行(おこな)わざるなり。

教うる者は必(かなら)ず正(ただ)しきを以(もっ)てす。
正を以てして行わざれば、之(これ)に継(つ)ぐに怒(いか)りを以てす。
怒りに継げば、則(すなわ)ち反(かえ)って夷(そこな)う。

夫子(ちち)我(われ)に教うるに正を以てすれども、
夫子未(いま)だ正に出(い)でざるなり。

則ち是(これ)父子(ふし)相(あい)夷(そこな)うなり。
父子相夷えば、則ち悪(あ)し。

古(いにしえ)は子を易(か)えて之を教う。
父子の間(あいだ)、善(ぜん)を責(せ)めず。

善を責めれば、則ち離(はな)る。
離れば、則ち不祥(ふしょう)焉(これ)より大(だい)なるは莫(な)し」


注釈

  • 教うる者は正を以てす:教育とは、正しさに基づいて行うもの。
  • 父子相夷(ふしあいい):親子が互いに責め合い、傷つけ合って関係を壊すこと。
  • 易子教育(えきしきょういく):他人の子を教育し合うことで、恩愛と正しさを両立させた古代の慣習。
  • 善を責むるは朋友の道なり:孟子の他の言葉より。「善を責め合う」のは友人関係にふさわしく、親子の関係には適さないとされる。
  • 不祥(ふしょう):不幸・災い。人生における最大の不幸。

パーマリンク案(英語スラッグ)

  • do-not-teach-your-own-child(自分の子は自分で教えるな)
  • love-before-correctness(正しさより情を守れ)
  • parenting-needs-distance(教育には距離が必要)
  • no-bigger-tragedy-than-broken-bond(親子の情が離れるほどの不幸はない)

この章は、孟子が親子関係において**「教育と愛情」のバランスをいかに大切にしていたか**を示す重要な一節です。
正しさを押し付けることが、親子の絆を壊すことになる――この警句は現代の教育にも通じる普遍的な教えといえるでしょう。

原文

公孫丑曰、君子之不敎子、何也。
孟子曰、勢不行也。
敎者必以正、以正不行、繼之以怒、繼之以怒、則反夷矣。

夫子敎我以正、夫子未出於正也、則是父子相夷也、父子相夷、則惡矣。

古者易子而敎之、父子之閒不責善、責善則離、離則不祥莫大焉。


書き下し文

公孫丑(こうそんちゅう)曰(いわ)く、
「君子(くんし)の子を教えざるは、何ぞや。」

孟子曰く、
「勢(いきおい)行わざればなり。
教うる者は必ず正(せい)を以てす。
正を以てして行わざれば、之に継ぐに怒りを以てす。
怒りを以てすれば、則ち反って夷(たが)うなり。」

「先生が私に正義をもって教えても、先生自身が正道に外れていたら、
それは**親子が争う(相夷)**ことになる。
親子が争えば、これは悪しきことなり。」

「昔の人は子を易(か)えて之を教えた。
父子の間では“善を責めず”
善を責めれば則ち離る。
離るれば、これに勝る不幸はない。


現代語訳(逐語/一文ずつ)

  1. 公孫丑が尋ねた:
     「立派な人(君子)が自分の子どもを直接教育しないのは、なぜですか?」
  2. 孟子が答えた:
     「感情的な関係(父子)では“教育の正しさ”が通用しづらいからだ。
     教育する者は、正しさをもって教えようとする。
     だが、それが伝わらないと、次には“怒り”に変わる。
     そして怒りにより、親子関係が対立へと変わる。」
  3. 「父が正しさをもって子を教えても、父自身が正道に従っていないときは、
     その正しさは説得力を失い、親子が反発し合うだけになる。
     それは望ましくない状態である。」
  4. 「だから昔の人は、子を交換して(他人に)教育させた
     親子の間で“道徳的善悪”を直接批判するのは避けられた。
     善を責めれば関係が崩れ、
     関係が壊れれば、これ以上の不幸はない。」

用語解説

用語意味
君子(くんし)徳を備えた理想的人格者。
勢(いきおい)感情的な影響力・立場。ここでは親子関係の心理的な力関係。
正(せい)道徳的な正しさ・原則に従う姿勢。
夷(たが)う争う・対立する。
易子(えきし)子どもを取り替えること。他人の子を教えるという風習。
責善(せきぜん)善悪の道徳を正面から指摘・批判すること。
不祥(ふしょう)不吉なこと・破滅の前兆。

全体の現代語訳(まとめ)

公孫丑が孟子に尋ねた。
「君子のような立派な人が、なぜ自分の子どもを直接教えないのですか?」

孟子はこう答えた:

「親子関係のような感情が強く作用する場では、“正しさ”による教育が通用しにくい。
正しいことを言っても通じなければ、次は怒りに変わる。
怒りが募れば、親子は争うことになる。
それは最も避けるべき事態だ。

昔の人は、親子の衝突を避けるために、互いに子どもを交換して教育した。
親子の間では善悪を責めない。
責めれば関係が壊れ、壊れたら最大の不幸となるからだ。」


解釈と現代的意義

この章句は、教育と人間関係の本質的な難しさに言及しています。

1. 教育は“関係性のバランス”がカギ

  • 教える者と教えられる者が近すぎると、感情が邪魔をする。
  • 特に親子間では、「正しさ」が「押し付け」や「怒り」になりやすい。

2. “正しさ”が通じないときの危険

  • 正論が伝わらないとき、それを怒りで押し通すと人間関係が壊れる。
  • 対話の中に“柔らかさ”と“他者の立場の尊重”が必要。

3. 感情の緩衝地帯を持つ教育制度が必要

  • 「易子而教」は古代の知恵。
     現代でも、親以外の信頼できる大人や教育者が重要。

ビジネスにおける解釈と適用

1. 直属の上司は“教え手”として限界がある

  • 親密すぎると感情のもつれで指導が難しくなる。
  • 外部メンターや、第三者的な教育制度が有効。

2. “正論”が通じないときに“怒り”が生まれる構造を理解する

  • 部下や後輩が言うことを聞かないと、リーダーはイライラする。
  • これは教育方法よりも“関係の設計”に問題がある可能性。

3. 組織内“教育の分業”を考える

  • 指導と評価を分ける、メンター制度を導入するなど、
     心理的安全性を確保する仕組みづくりが重要。

ビジネス用心得タイトル

「近すぎる正論は争いを生む──教育には“距離の知恵”が必要である」


この章句は、家庭教育や上司部下関係など、**感情が交差する場所における教育の難しさと、
それを乗り越えるための古代的知恵(“易子而教”)**を提示しています。

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