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本心を売ってまで得る富に価値はない――義に反する大禄は受けるな

孟子はこの章で、人間の「本心(ほんしん)=善なる心・羞恥心・道徳心」こそが人生の根幹であり、たとえどれほどの財貨であっても、それを犠牲にすべきではないと強く訴えます。
小さな食事でも“無礼な与え方”では受け取らないのに、大金(万鐘)の禄になると礼を問わずに受ける――その矛盾を、孟子は容赦なく糾弾します。


飢え死にの場面ですら「無礼な施し」は受けない

孟子はまず、極限状況における人の態度を描きます:

「たとえ一簞の飯、一椀の羹(あつもの)であっても、それを得れば生き、得られなければ死ぬ――
そんな極限状態において、もしそれが怒鳴りつけるように与えられたり、足蹴にするように渡されたとすれば、
道行く人ですらそれを受け取らないし、乞食ですら受けることを恥じるだろう

これは、人が“生死の境”にあっても、「礼を欠いた施し」は本能的に拒む心を持っていることを示します。


大金(万鐘)なら受ける? それは本心を失っている証拠

孟子はこのような本能的羞恥心と、「大禄を受け取る」行為の矛盾を問いただします:

「ところが“万鐘”もの大禄となると、礼義を問わずにこれを受ける。
万鐘は自分一人で食べきれるものでもないのに、何のために受けるのか?」

孟子は想定される理由を三つ挙げ、それぞれを否定します:

  1. 住まいを豪華にするため?
  2. 妻妾を豊かに養うため?
  3. 知人の困窮者に施しをするため?

「かつては“飢えて死ぬ”かもしれないときでさえ無礼な食事は受けなかったのに、
今は“自分の快適さや贅沢”のために不義の禄を受けるのか?
それは果たして“やむを得ない”ことなのか?――いや、そうではない。
それこそが“本心を失った行為”なのである」


本心とは何か――孟子の「性善説」の実践的定義

ここで孟子の言う「本心」とは:

  • 羞恥の心(不義を恥じる)
  • 義を貴ぶ心(道に適う行いを望む)
  • 内から湧き出る仁義の感覚

これらを犠牲にしてまで得る利益――たとえ「万鐘」の大禄であっても――は、孟子にとって命よりも価値の低いものです。


出典原文(ふりがな付き)

一簞(いったん)の食(し)、一豆(いっとう)の羹(あつもの)、得(え)之(これ)れば則ち生(い)き、得ざれば則ち死す。
嘑爾(こじ)として之を与(あた)うれば、行(ゆ)くの人も受けず。蹴爾(しゅうじ)として之を与うれば、乞人(こつじん)も屑(せつ)しとせざるなり。

万鐘(ばんしょう)は則ち礼義(れいぎ)を弁(べん)ぜずして之を受く。万鐘、我に於(お)いて何をか加えん。

宮室(きゅうしつ)の美(び)、妻妾(さいしょう)の奉(ほう)、識(し)る所の窮乏(きゅうぼう)者の我に得(う)るが為か。

郷(さき)には身の死するが為にして受けず。今は宮室の美の為にして之を為す。
郷には身の死するが為にして受けず。今は妻妾の奉の為にして之を為す。
郷には身の死するが為にして受けず。今は識る所の窮乏者の我に得るが為にして之を為す。

是(こ)れ亦(ま)た以て已(や)むべからざるか。此(こ)れを之れ、其の本心(ほんしん)を失うと謂う。


注釈

  • 一簞一豆:わずかな飯と羹(汁物)。最低限の食事。
  • 嘑爾・蹴爾:怒鳴りつけるように、あるいは足蹴にするように渡す。極めて無礼な与え方。
  • 万鐘:非常に多額の俸禄。物理的にはありがたくとも、義に反すれば価値なし。
  • 奉(ほう):養う、仕える。妻妾への豊かな待遇の意。
  • 本心(ほんしん):孟子がいう「性善」の根源的心。仁・義・礼・智の芽生えのもと。

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「心を売るな」という核心メッセージを印象的に表現。

その他の候補:

  • righteousness-over-riches(正しさは富に勝る)
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  • true-heart-lost-for-wealth(富のために失われた本心)

この章は、孟子の思想の中でも特に**「自分自身を失わないこと」**への強い信念が表れた一節です。
欲望や見栄え、家族や他者のためという「もっともらしい理由」を盾にしながら、不義を容認してしまう心の危うさを孟子は徹底的に断罪します。

それは単なる道徳説教ではなく、人間として最も大切な“心のあり方”を守るための誓いでもあるのです。

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